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2002年03月28日

ザ・トリアエズ

 ザ・トリアエズの結成は1999年の終わりだった。

 オレたちはいつものメンツでいつもの店に集まり、いつものようにくだらないおしゃべりで長く退屈な夜をバカみたいに陽気に過ごしていた。オレたちは皆ひどく酔っ払っていた。

 バンドやろうぜ!っと、ふとオレがおもいつきで口にしたその言葉がことの始まりだった。

 さっそくオレたちはその店で1週間後に行われるクリスマスライブに出演を申し込んだ。こうしてオレたちはミュージシャンとなった。

 しかし、不幸なことにオレたちの誰もが楽器を手にしたことがなかった。そしてまた、楽器を買う金さえも持ち合わせていなかった。

 1週間がたち、予定通りクリスマスライブが開催された。

 オレたちに与えられたのは30分。何もできないオレたちは観客の前でただただ突っ立ていることでその時間を潰すしかなかった。アカペラで歌でも披露すればいいものだが、気転のきかないオレたちから出た音といえば、せいぜい鼻をすする音と飲みすぎたビールによるゲップの音だけだった。

 出番が終わり、あきれ顔の客達からひとり、汚ねえ気のふれたような毛唐がオレたちのところへ駆け寄ってきた。ブラボーブラボー。バカにされているのではと思ったが、やつの目はマジだった。同行者の通訳によって、オレたちはそれまで誰からも口にされたことのないくすぐったくなるほどの賞賛の言葉を浴びた。そしてまた、やつが高名な現代音楽家であるということも知った。

 その後、やつは各マスコミのインタビューで決まってオレたちの名前をだし、一躍ザ・トリアエズの名は有名になった。

 マスコミがこぞってオレたちにインタビューを申し込んできた。

 オレたちは全て受け入れ、思いつく限りの難解な言葉でそれに答えた。存在意義、絶対矛盾、脱構築、パロール、エクリチュール、ラディカルな意志、アンチテーゼ、云々。意味などひとつも知ってはいなかった。

 そしてオレたち自身に関する個人情報について、決して口を割ることはなかった。

 そのために、ザ・トリアエズは神秘性を増し、オレたちを巡る様々な噂が巷に飛び交った。

 バンドの平均IQは200を超える。オックスフォード卒の者がいる。バークリー音楽院卒のやつもいる。10ヶ国語話せる者がいる。オリンピックに出場経験が有る者がいる。さる高貴な方の隠し子がいる。全てがデタラメで根拠など微塵もなかった。

 これら噂の元をたどれば、はたしてオレたちにたどり着くわけだが。

 根っからの怠慢グータラ気質であるオレたちは、その後も楽器を練習することも買うこともなかった。だがしかし、頼まれるままにライブをこなした。

 立っているのは疲れるので、座ったり寝転がったりするようになった。腹が減るのでボリボリ音をたてて煎餅を食った。満腹になるや大きないびきをかいて眠りにつくものまでいた。

 それが「NEKOROBU」という曲名でオレたちの代表作となった。

 小難しそうな顔した連中が壇上でただ寝転ぶオレたちの一挙一動をくいいるように眺めるのでときどき吹き出してしまい、そのオレたちがたてたささやかな笑い声を聞き漏らすまいと身をのりだす様がさらにおかしく、床を叩いて大笑いした。すると拍手が起こり、むせび泣く者まででるのだから愉快なことこのうえなかった。

 初めてのレコーディングはロンドンだった。

 ファーストアルバム「SHIRIWOBORIBORIKAKU」には、ロンドンのレコーディングスタジオでオレたちが鼻をすすったり、屁をこいたり、尻をぼりぼりかいたり、退屈してしりとりを始めたり猥談で盛り上がる声が収録された。「アヴァンギャルドよりアヴァンギャルド」「すべての芸術領域を含みそして全てを超越した音楽」「21世紀の25世紀音楽」等等、意味のわからない批評を受け、そのアルバムは名盤とされた。

 世界のあちこちでライブをした。ニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリン・・・世界中のいいもの食い、いい酒を飲み、そしていい女を抱いた。

 毎日が愉快だった。オレたちのやることなすこと全て芸術になった。写るんですで撮ったバカ写真はポストカードとして売られ、広告の裏に書いた下手くそなキン肉マンの絵は冗談みたいな高値で売れた。以前若者の間で流行した頭ぼさぼさ上下スウェットルックは実はオレたちが流行らせた。

 だが、そんなきちがいじみた生活にオレたちはしだいに嫌気がさしてきていた。

 2001年の元旦、21世紀のはじまりのその日、メンバーの一人が雑煮に入ったもちを喉につまらせ死んだ。ザ・トリアエズの中で最も男前、といっても世間一般でいえば中の上くらいでライブ中によく大便に行ったその男の死に多くのファンが悲しみにくれた。

 自殺説、ドラッグ説、本当はまだ生きている説など、その死に対する様々な憶測が飛び交ったが、その死因をオレたちは決して公表しなかった。そうすることが利口だと思った。

 これを機にオレたちは解散することにした。レコーディングそして世界ツアー、全ての予定をキャンセルした。あまりに突然のことで関係者全員がオレたちを恨んだ。悪かったとは思うが、それがいつものオレたちのやり方であり、結局世間はそれを許した。

 メンバーはそれまでの怠惰な生活から一転し、それまでに稼いだ金で事業を興すもの、田舎に帰り家業の米屋を継ぐもの、手に職つけると専門学校に通いだすもの、それぞれがまったく善良な一市民としての暮らしを始めた。

 だが、オレだけは違った。オレはミュージシャンから小説家へと華麗なる変身をとげた。またしてもインチキな職についてしまったわけだ。

 オレの処女作「優しい左翼のためのなんとなく限りなく透明に近い風の歌を聴け、ギャングたち」は、さる年老いた文豪に大変高く評価され、とある文芸誌で新人賞を獲得するどころかその年の芥川賞作品に選ばれた。現在、それは16ヶ国語に訳され、世界中の人々に広く読まれることとなった。

 どこの書店にも必ず一冊は置いてある。どうか手にとりページをめくってみてほしい。そしてどうかキミの自由に思うがままその物語を紡いでほしい。

 意味のない文字と記号、何ページにも渡る空白から。

投稿者 hospital : 2002年03月28日 11:37