« 濃すぎた男 | メイン | 俺の代わり »

2002年07月28日

不可価値

 芸能人との握手会、プロ野球選手の記念すべきホームランボール、その他様々な物に人々は惹かれる。単なる「人」との握手ではない。単なる「ボール」を所有するのではない。そういった付加価値を「単なる何か」に人々は与えるのである。

例えば、芸能人との握手会では、憧れのそのタレントと握手をすることで得られる満足感というものがある。そのタレントのことをなんとも思っていない人にしたら、そんな握手など全く無意味な事であり、「近所のおじさんと握手」「初対面の人と握手」「後楽園遊園地で僕と握手」などともはや意味としては変わらないところだろう。

 プロ野球選手のホームランボールにしても同じことが言える。傍目からみたら「ボール」である。ボール以上でもなければボール以下でもなく、「あ、ボールがある」としか感想を述べられないものであるはずだ。いわば、「あ、手だ。」「あ、人だ。」「あ、うんこもれた。」などと同列として扱われるべきものなのである。

 しかしながら、やはりそういった「単なる何か」に付加価値を与えたがるのが人であり、「ナポレオンが使ってた帽子」だの、「徳川家康が愛用した椅子」「カールスモーキー石井愛用のポルシェ」などに人々は憧れるのであり、これは人間だけに見られる特殊な性質ではなかろうか。無論、パンダが「加護亜依ちゃん愛用の笹の葉」を好んで食べたがるということは無いのである。私なら食べたいが。

 その伝でいけば、そういった付加価値というものは、それに魅力を感じない者にとってはもはや価値ではなく、無価値なのである。それほどたいそうなものでは無いという事に気づけば、そのボールや握手やポルシェなどは一気に無価値になってしまい、それまで放っていた魅力は夢のように消え果てしまう。ポルシェは欲しいが。

 要は何事も「気持ち」が大切なのではないかしらん。そこにある椅子を「辻ちゃん愛用の椅子」と思い込めばその椅子はとたんに光り輝く「椅子」になるのである。これは極端な話であるが、こうやって物事を考えていけば逆に、「さっきうんこを触った手」だとか、「さっき人を殺した手」などは単なる「手」に他ならなくなるわけだ。ポジティブシンキング。

 そんなことを考えながら、先ほど誤ってうんこを触ってしまった手で、タイピングしている。うんこだって、もはやうんこだ。ポジティブシンキング。

投稿者 hospital : 2002年07月28日 15:18