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2003年03月08日

退屈と情熱

「かゆい所に手が届いてくれない?」

明美はうなだれた表情でそう言った。
明美。明美はどうやら疲れているようだ。
最近の明美はおかしい。それでも、家事をサボったりはしない明美が愛しい。


「イテっ。」

台所から明美の声が聞こえた。

「大丈夫?」

俺は声をかけた。すると明美はがっかりした表情で言った。

「だから・・・かゆい所に手が届いてよ。」
「かゆい所って・・・」
「そうよ。今アタシは包丁で手を切っちゃったの。ボケッとしてたのよ。で、アタシは『イテっ』って言った。それに対してあなたは『大丈夫?』って・・猿みたい。」
「おいおい。猿って・・。俺は心配して言ったんだぞ。」
「心配か・・・。それは嬉しいけどもうちょっと・・・」
「もうちょっと?」
「かゆい所に手が届いてよ。」

明美が言いたいことはなんとなくわかる。
俺は気の利いた台詞を言うことができない。
どこかで聞いたようなセリフ。
そんなセリフを俺は毎日繰り返し吐いているだけなのかもしれない。
俺は意を決した。

かゆい所に手を届かそう。

その日も明美は疲れた表情で帰ってきた。

「ただいま。」

いつもだったら

「お帰り。遅かったな。」

と言ったと思う。だけど今日は違う。
俺は右手を背中に突っ込んでのけぞりながら

「あが。あが・・オペペぺぺぺぺぺぺ!!・あ・あ・あ・・・・・・・あぱぱぱぱぱぱぱ!!!」

と言ってみた。

沈黙が流れた。
明美は目を伏せてバッグを置くと無言で自分の部屋へ行ってしまった。
やっぱり駄目だったんだ。
平凡な俺がいくらイキがったところでたかが知れてる。
無理なんてするんじゃなかった。
俺はそう思って茶の間でうなだれていた。

すると。

明美が茶の間に入ってきた。明美は真っ赤なフリフリのドレスを着ていた。

「マルガリ~タ~。カブチ~ノ~。ペタジ~ニ~。」

明美はそう言いながらバラを口にくわえ右手を上げ、左手を水平に突き出すと
腰を振りながら踊りだした。

「あ・・明美?」

明美は何も答えなかったが、いつもと様子は違った。
明美は泣いていた。

「アタイ・・」
「アタイ?」
「嬉しかったけん。」
「け・・けん?」
「アンタが・・無理して・・かゆい所に手を突っ込んでくれたの・・嬉しかったけん。」

明美は激しく踊りながら、言葉を途切れさせながらも一生懸命しゃべっていた。
明美は踊り続ける。

「まだ・・」
「まだ?」
「まだ・・・痒いところには手は届いてないねん。」
「な・ないねん?」
「でも・・あれやわ・・。かゆそうな所に手を・・突っ込まれたわ・・。」
「・・・・。」
「ごっつ・・・それが嬉しかったけん・・・。ぐしゃあアタイ・・・幸せ・・。」

明美は額に汗を浮かべながら踊り続けた。
俺は何も言うことができず床に座り込んだままそんな明美を見上げていた。

蛍光灯が古くなってきているようで、部屋は少し薄暗かった。
なんの飾り気もない我が家の茶の間はいつものように退屈で平凡な部屋だ。

そんな中で必死に踊り続ける明美。

俺も意を決して立ち上がり、

「あ・・あ・・・あ・・・・・アモ~レ~!」

と叫びながら、明美と踊り続けた。

夜はふけていた。俺ももうすぐ30だ。

俺の人生はようやく始まったのかもしれない。

投稿者 hospital : 2003年03月08日 08:44