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2003年06月09日

素振り

人と会う前には俺は必ず素振りをしている。
周りの人間にとって俺は、「奇策で愉快な男」で通っている。このキャラクタを定着させるのには、血のにじむような努力が裏にあったことを誰も知るまい。

出社後、誰にも悟られずに俺はそそくさと便所に駆け込む。
誰もいないのを確認してから、鏡の前で、「おーっす!おはよう!」と明るい挨拶をするときの左手の上げ方を確認すること、30回。速すぎてもうそくさいし、遅すぎても明るさに欠ける。その微妙な『左手上げ』を、素振りで確認するのだ。
30回ほど素振ると、満足がいく。そして、次は顔面の神経の素振りだ。笑顔がひきつっていないか、それを心配するあまり陰りのある笑顔になってはいないか。私のように裏で努力をする男の笑顔は往々にして『孤独を抱えていそうな笑顔』になりやすいから、注意が必要だ。不自然な表情にならないようこれにも、『左手上げ』と併せて確認するのに、30回の素振りを要する。
一度、この素振りの最中、同僚の山田に見つかってしまった。顎のあたりまで、「おーっす!おはよう!」の左手を素振ってしまっていたので、それを突然下げるのは不自然になってしまうから、そのアクションをすんでのところで桂三枝の往年のギャグ『いらっしゃ~い』に思い切ってスイッチさせ、ことなきを得た。
「トイレにいらっしゃ~い」ということなのだ、と強気で山田に迫った。こうゆう時は強気に限る。臆してはならない。素振りがばれたら、それこそ数年来の私の努力が水泡に帰してしまうからだ。
山田の顔にはまだ疑いの色が見られたが、「トイレにいらっしゃ~い」を立て続けに5回(この5という数字が重要だと思っている)ぶちこんでやったら、山田の表情には「怪訝そうな顔」から、「見なかった事にしようという顔」というように変化が現れ、私も安堵したものだ。

素振りがバレたらことだ。

そうゆうわけで、トイレで朗らかな朝の挨拶の素振りを完了してから、私はオフィスに颯爽と登場する。ここで、あらかじめ完璧にされた朝の挨拶を終える。ここまでで俺の仕事は終わったようなものだ。

そうゆう朗らかに見える私には残念なことに友達が少ない。素振りのしすぎで、友達作りに時間を割けないのだ。困ったものである。”空振り”などという冗談の一つも言いたくなるくらいだ。

さて、会社にいると仕事を頼まなくてはならない時が来る。書類作成などをしていると、どうしても他人とコミュニケーションしなくてはならないときが来るのだ。例えば、部下などに、ある書類を作ってもらいたいと言うような時だ。そんな時、私は立ち上がってトイレに駆け込む。素振りが必要だからだ。
一度私は急を迫られて、素振りを頭の中でしているつもりが、素振りをしながらトイレに走ってしまったことがある。「おーす、武田!この書類っ!明日までにーーー、頼むぞっ」。気さくな上司を演じたいあまりに、気持ちが先走ってしまい、トイレまでの道中(廊下)私はこの素振りを30回もやってしまっていた。

「おーす、武田!この書類っ!明日までにーーー、頼むぞっ」「おーす、武田!この書類っ!明日までにーーー、頼むぞっ」「おーす、武田!この書類っ!明日までにーーー、頼むぞっ」「おーす、武田!この書類っ!明日までにーーー、頼むぞっ」「おーす、武田!この書類っ!明日までにーーー、頼むぞっ」・・・・・・


ジェスチャーを交えながら、こんなことを叫んで走る俺を周りはきっと、「朗らかな上司の素振りに勤しんでいてご苦労なこった」と嗤っていたことだろう。思い返すだけで、赤面ものだ。自分のおっちょこちょい加減に顔から火だ。
しかし、この時も30回この素振りをしてしまった後にはっと気づいて、「な~んてね♪」と、フォローを入れて置いたので、ことなきを得た。

まったくもって、備えあれば憂いなし。
いつでも、素振りは欠かすことができない。

メジャーに旅立った松井選手にも見習ってもらいたいものだ。

投稿者 hospital : 2003年06月09日 09:46