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2003年07月28日

黒い影

父は変わった人だった。

わたしが幼稚園児だった頃、運動会で家族参加型の競技があった。タマ入れ。高く掲げられた籠の中にタマを放り投げ、できるだけたくさん入れたチームが勝ちという単純明快なゲームである。ホイッスルがなるといっせいにパパと娘、ママと息子など一組の親子が二つのチームに分かれて赤と白のタマを放り投げていく。
周りの親子はチームワークを活かして順調に籠にタマを入れてゆく。しかし私の父は一人立ち尽くして黙っているのだった。「パパ・・・?」心配になって私は空を見上げた。父は空と太陽を背景にただの黒い影だった。
終了まで30秒の合図をホイッスルが告げる。皆一様にペースを速めてタマを拾っては空へ向かって投げる。すると、むくりとその黒い影が動き始めた。その黒い影は地面に転がっている無数の赤い玉を拾い集めていく。終了まで10秒。その影は胸にどっさりと赤いタマを抱えている。そして終了まで3秒前、その黒い影は助走をつけて、飛んだ。

彼の胸にあった赤いタマの一群は籠の中に叩きつけられ、その人間の形をした黒い影は籠からぶら下がっていた。ダンクシュートだった。黒い影の重みに耐え切れずタマ入れの籠を下で支えていた保母が悲鳴をあげた。

そして、終了のホイッスル。わたしのチームは黒い影のおかげで勝利を収めた。
そう、黒い影は父親だったのだ。わたしは黒い影に話しかけた。

「パパ・・・?」
「・・・」
「黒いよ。なんで?」
「・・・」

それ以来、父は黒い影のままだ。黒い影のまま先ほど悲鳴を上げていた保母に、「すみません、重かったでしょう」と労わりの言葉をかけたのだが、無論保母とて普通の女である。単なる黒い影が話しかけてきたものだから、先ほどの悲鳴より数段狂気に満ちた叫び声が幼稚園の広場にこだましたことは言うまでも無い。

結局黒い影とわたしはその後他の競技に参加させてもらうことができず、黒い影を背にわたしは家に帰らされることになった。とても寂しい記憶である。
家についてわたしたちを迎えた母親はと言うと、そんな父親の行動には慣れていてすぐにわたしの背後にいる黒い影が父親だということに気づいたようだ。「あーあ・・・」とだけ彼女は言うと、そのまま台所で夕食の支度を始めた。
その晩黒い影とわたしと母親は、無言で食事をした。

それから数年が経った。依然として黒い影のままである父親は何年も変わることなく、毎朝同じように出勤してゆく。父親は一体どんな会社で勤めているのだろう、黒い影を雇ってくれる会社なんてなかなかあるものではない。子供ながらにわたしはすこし大人ぶったものの考え方をしていたようだ。
なんの問題も無く平凡な家庭、もっと言えばわたしたちは普通よりも生活水準の高い暮らしをしていたように思う。そのような日々を過ごしていたからこそ、返ってその幸福が幼いわたしにとってなんだか空恐ろしいものに感じられたのかもしれない。そのようにわたしはいつも大人びた子供だったのである。

そんなわたしの家庭が貧しくなったのは、黒い影である父の会社が倒産してからだ。当然会社からの収入が途絶え、それがもとで父は責任を感じ自殺してしまった。わたしと母親は二人で生きていくことになった。わたしは、今年二十歳になる。黒い影におんぶしてもらい少し心配そうに、けれど笑顔でカメラに目を向けている写真を眺めながら、わたしは死んだ黒い影のことを思い出した。黒い陰に背負われていた頃は、確かに幸福だったのだ。今は、どうか。

未だに母は、言う。

「あなたの背中でいつもパパは見守ってくれているよ」

今はわたしが父親をおんぶしているのかもしれない。

そんなわたしは、貧乏だが、いつも幸福な気がしている。
父は変わった人だった。

投稿者 hospital : 2003年07月28日 10:30