« レインボーブリッジ | メイン | きれいな部屋 »

2003年09月01日

結果を出す女

誰にも知られていないが、私の妻は世界最速の女である。

彼女と結ばれた1998年の春、私は25歳で仕事一筋のモーレツ社員だった。そんな私をいつもオフィスで見つめていたのだという。オフィスでたまたま二人きりになったある日の夕刻、彼女は私の所へ無言でやってくると、「結果を見せたい」とつぶやいた。最初なんのことなのかよくわからなかったのだが、彼女の目は真剣そのもので、そんな彼女の雰囲気に気圧される形で、私は言われるままに近くの小学校のグラウンドまでついていった。
彼女は何か深刻なことを考えているような真剣な表情で、私を伴い歩いていた。彼女の行く手に下校途中の児童たちが何人かで遊んでいたが、彼女はかまわず歩き続け、その前進は児童達を踏み倒していったのだから、泣きわめく児童達、フォローをするのに私も手を焼いたものだ。

「結果って、一体なに?」
「見てて、あ、それで計って」
「え?」

セイコーの時計を持たされた私の前で、彼女は突然スターティングの体勢をとると、こちらをにらみつけた。
唖然として突っ立っていた私に彼女は、「ほら、よーいどんだろ」とつっけんどんに言い放った。私はなにがなんだかよくわからなかったが、彼女に促されるままにスタートの合図を叫んだ。すると、彼女は風になった。
時計を持つ手がふるえた。彼女は百メートル地点の目印のあるところにありえないスピードで到達する。彼女は全力疾走を終えたあと、こちらをすかさず振り返り、「何秒だ?」と目だけで聞いてきた。ふるえる手のひらの中の時計はまさに8.07秒を指しており、まさにそれは前人未踏の記録だったので、ありえないことだが、「8.07秒っすー」となぜか敬語で彼女のほうへ叫んだ。

余裕の面もちで彼女は自らが世界記録を出したトラックを悠々とこちらに戻ってくると、汗一つかいていない爽やかな様子で、「あたしの・・・結果だから・・・」と赤面したのだ。
そんな彼女がなぜかいとおしくなり、思い切り抱きしめた。その時にやはり百メートルの全力疾走は彼女にとって決して楽な作業ではなかったのだろう、どきんどきんと張り裂けんばかりの心臓の鼓動が私にも感じられた。
しかし、後で彼女から聞いたのだが、「実際100メートルを8秒台で走ることにそれほどの気負いはなかった。あの時の鼓動は激しい運動をした後のそれではなく、まさしく激しく恋する相手に抱きすくめられた時の胸のときめきだったのだ」と断定口調でその時の心境を語られた。理路整然と語られても、こちらとしては困ってしまうのだが・・・。しかし、そんな不器用な彼女の気持ちは痛いほど分かる。

結局、「結果をだした」彼女に対して私も結果を(この理論がそもそも自分でもよくわからないのだが)出さなくてはならなくなり、まあつまるところ、私は彼女と結ばれることになったのだ。
結婚式の前夜、さすがに違和感から彼女に「確かに君はものすごい結果を出した、けれど僕はそれに応えられるような結果をだせないだろうし、なぜ結婚しようとしているのか自分としても判然としない」と率直なところを打ち明けたのだが、「その気持ちを忘れないでいてくれれば、本望」などと(普通、年頃の娘が話し言葉の中で『本望』などという言葉は使わない)、決意の目で諭されてしまい、まあなんだかよくわからないまま私たちはめでたく(?)ゴールインしたわけだ。

あれから5年が経ったが、でたらめな臭いのつきまとう彼女も家庭に入り、良妻として普通に生活をしている。今の彼女を見る限りあの時私の前で「結果を出す」ということで走った100m8.07秒という記録が嘘のようであるが、しかしそういった女であるという認識があった上でのこの幸せな夫婦生活も悪くはない。
息子は今年で5歳になり、幼稚園に通ったりしているが、幼稚園での親子競技で走る妻の走り方はどこにでもいる若妻のそれとなんら変わるところがなく、途中でこけたりしてどじをふんでいるところなどを見ると、本当に可愛いと思ってしまう。

今、彼女はまったく普通の女のようにみえるが、一つおかしいことがあるとしたら、それは結果にこだわりすぎる性格であり、それは他人の結果に拘泥する性質のものではなく、ただひたすらストイックに自分を律することにとどまっている。自分が考えている結果が出せない時はさも悔しそうに舌打ちをするのだ。それ以外に、彼女はまったくの良妻だ。

今日も台所から彼女の舌打ちが聞こえる。一体どんな結果を残そうとしているのだろう。それは夫の私にも分からない。

投稿者 hospital : 2003年09月01日 10:51