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2003年09月08日

ミステリー

その男は緑のハンチングを目深に被り、ある夜突然私の部屋を訪れた。
選択肢はたくさんあるんだ。――
彼の吐いた最初の言葉だった。
君は一つしか方法がないとでも勘違いしてはいないか。世の中にはたくさんの人がいて、たくさんの生き方がある。君は一つの生き方しかないという固定観念にとらわれて、自分の力を最大限に生かすことを放棄しているのさ。――

挨拶もせず、この男は何を言い出すのだろうか。私は突然の訪問者にしばらく戸惑っていたところ、その男はにやりと脂でよごれた歯を見せた。

まあ・・・――
彼は一息入れると、ポケットの中からつぶれたピースを取り出し、火を点けてさも旨そうに肺の中に煙を充満させてからゆっくりと吐き出す。
一つ、考えてみるんだな。――
そう言い残すと彼は何もなかったかのように踵を返し、夜の闇に紛れ込んでしまった。

ふと、先ほどまでその男が立っていた床に目を落とすと、そこには”ママレモン”と書かれた容器が置いてあった。隣にはメモがあって『この洗剤を使って、食器を洗うといい。するとそれはとてつもなくありがたいものだってことにお前も気づくはずだ』と汚い文字で書きなぐられていた。
一体、どうゆうことだろうか。

食後、私は彼の言うとおりに”ママレモン”なるものを食器洗いに使用した。すると、どうだ。みるみるうちに油汚れが浮き出して新品同様になった皿を前にして、私は一時間ほど動けなくなっていた。

・・・・・・、わからない。――

ことりと、ドアーのほうで物音がした。立ち尽くしていたが気づいてドアーを調べてみた。すると郵便受けに『ディズニーシー優待券』と銘打たれ、―800円割引―という説明書きのある紙切れが二枚届いていた。
なんて事だ。――
私は思わず、独り言を口にしていた。
確かにこの部屋は密室の状態だったはずだ。そして、私には完全なアリバイがある。しかし、私が今見ているのは紛れも無くディズニーシーの優待券なのだ。
あり得ない。――
何度目の『あり得ない』だろうか。私は暫くの間、あり得ないを連呼していたが、ふと気づいてアケミに電話をかけた。

アケミか。――
うん、そうだけど・・・。どうしたの?――
今週の土曜、あいてるか。――
なあに、突然。改まって。――
いや・・・――
別に、あいてるけど・・。――
そうか、あ。――
どうしたの?――
ごめん、誰か来たようだ。また電話する。――

ドアを叩く音がする。チェーンを外しロックを解除すると、そこには先ほどの男が無表情で立っていた。
800円。――
彼は言った。
二人で1600円の値引きだ。――
私は愕然として、彼の足元に崩れ落ちた。
契約、成立。ジ・エンド。だ。――
私は、彼の言うとおりに、書類に捺印していたのだった。
○○新聞購読の契約書だった。

――数日後――

アケミは嬉しそうにミッキーやドナルドを見ては、はしゃいでいる。片手にはギョーザドッグなるものをもって、ちらちらと私の方を振り返ってははにかんでいる。
とても、幸せ。――
電車に乗って窓の外を眺めながら彼女がいった言葉だった。
その言葉を私は反芻して、彼女の姿を見送っている。

ケンジは、乗らないの?――
遠慮しとくよ――
あぁーー?びびってるんでしょ?――

彼女はそう言うと、一人で列に並びだした。手持ち無沙汰になり、懐にしまっておいた今日付けの○○新聞の朝刊を開き、カップルや家族連れで賑わいでいるディズニーシーの喧騒の中、私は昨日あった出来事に目を通すのだった。
そして、様々な出来事が起こる世の中を想い、ジェットコースターからこちらに手を振っているアケミに微笑んで手を振り返した。

投稿者 hospital : 2003年09月08日 10:54