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2003年09月18日

回想

完璧な人間がどのくらい居るというのか。どんな不幸なことが起きてもなんの感情も表に出さない人間がこの世の中にどのくらいいるだろう。

父の話をしよう。父は昔、アメフトの選手だった。よく自慢の巨体で私に突進してきたものだ。そして思い切り私を蹴り上げたものだ。『蹴り上げた』からといって、アニメの世界じゃあるまいし私は普通に吹っ飛ぶくらいのものだった。大空高く飛ぶような事は断じてない。そして普通にうめき声をあげて、「痛い」否、「いひゃぁん」と言う。それだけのことだ。そして、病院に行き治療を受ける。たったそれだけのことだった。
母は昔競泳選手だった。彼女は私が子供の頃自慢のストロークで私をよくひっぱたいたものだ。回想に耽ってるわけではない、ただそうゆうことがあったと言いたいだけだ。
「これがクロールよ」と事務仕事でもこなすように無表情の彼女から繰り出されるストロークは私の顔面を激烈にヒットした。「痛い」。普通に、痛い。だから、「痛い」と言った。一度歯が折れて口から血を吐いたことがある。彼女は怪訝そうに(普通この状況では『怪訝そう』な顔はしないと断っておく)私の顔を見つめると、折れた歯はどっちの歯?とたずねた。だから、下の歯、と答えると、その歯を私から奪い取り(口を無理やり開けてだ)外へ飛び出した。全速力でだ。「聡、おいで」庭から母の声が私を呼ぶ。すると、手に持った歯を真後ろにほおり投げて、「これが背泳ぎよ」と私の方を見てストロークをし終えると誇らしげに笑ったものだ。屋根の上で瓦に歯があたる音がして、そういえば下の歯が抜けたときは屋根に投げるんだったっけなと、この時は回想に耽った。彼女なりの思いやりだったのかもしれないと思ったが、それが間違いだということに気づいたのはすぐ後のことだった。彼女のハイキックが唖然として立ち尽くしている私の延髄をしたたかにとらえたからだ。薄れ行く意識のなかで母の「これがハイキックよ」という声が聞こえた。「分かってるよ」と答えようとしたのだが、私はそのまま気絶したものだ。
回想に耽っているわけではない。ただ、そうゆうことがあったと言いたいだけだ。
兄はパン屋だった。
姉は葬儀屋だった。それだけのことだ。

そして、今朝、彼らは旅行のしたくを始めた。「聡」父は無言で、目だけで私のことを呼んだ。なぜか、私にはそれが分かる。それがこの家庭のルールのようなものだ。無言で私を呼んだのだ。そして、無言で「今日我々は家族旅行へ行く」といった。もちろん、声には出さなかった。さらに、「お前は置いて行く。理由は聞くな」と無言で言った。
「将来の夢はパン屋だぱん」兄が、無言で私に語りかけてきた。「ていうか、パン屋じゃん」と口にだして答えたところ、「パン屋を馬鹿にしてんのかおまえ」と突然私にタックルしてきて、私はしたたかに後頭部をテーブルの端に打ち付けた。「聡が悪いのよ、財産に目がくらんだから」と姉が痛そうにしてうずくまる私をジェスチャーを交えて非難した。「財産に目がくらんだ」覚えがない私は、しかし、この不条理な家庭にいやけがさし、「行けよ!二度ともどってくんじゃねえ」と吐き捨ててそのまま気絶した。
たった、それだけのことだ。回想に耽っているわけではない。
目を覚ましたのは昼すぎだった。彼らが旅行へ立った後の静けさが家の中にあった。
私が何をしたというのか。まだ痛む後頭部をさすっていると電話がなった。「山本さんのおたくでしょうか。聡さんですか」警察からの電話だった。「申し上げにくいことですが」警察の言うには私を除く家族4人を乗せた車が走行中断崖から墜落したということだった。
車体はぐちゃぐちゃだったそうだ。4人が全員即死。痛ましいことだと、警察は私を慰めてくれたが、その話の中で「『絶対飛べる』ってなんのことですか」と尋ねられた。全壊した車体にそのメッセージ、『絶対飛べる』が書いてあったのだそうだ。
「飛べると思ってたんでしょ。私には関係ありません」とだけ答えて私は受話器を置いた。疲れていたので、何も考えたくなかった。
回想に耽っているわけではない。

投稿者 hospital : 2003年09月18日 10:59