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2003年11月17日

都合のいい女

天然ボケなのだろうか、「あー、鬼しょっぱい」とケーキをおいしそうに頬張る彼女の横顔を見つめながら私は日曜の昼下がり行きつけの喫茶店の一隅でコーヒーを啜っていた。

どうにもこの女は私の理解を超えている。ふと目線を落とすと、やっぱり彼女は空気椅子をしていた。椅子があるのに、それに座ろうとしないのは従前のとおりであって、一度そのことについて彼女に質問したが、その時はものすごい悔しそうな表情をしたので、それ以上の追求は控えたものだ。どうにも、分からないのである。
付き合い始めたのは今年の夏ごろだった。「とりゃあ」と言うか、私と結婚するかのどっちかにして、と言われた。『どっちか』という二者択一もまるで謎なのだが、その前に「『とりゃあ』って一体なんだ」と聞くといかにも落胆したような表情をしてみせて「か・・・掛け声でしょそんなもん」と答えた。全然答えになっていないのだったが、とりあえず「とりゃあ」と言われるままに掛け声をかけてみたところ、そっか、付き合うってことね、と勝手に納得されてからこれまで彼女とは一応彼氏彼女の関係を続けている。
一度仕事上で私が大きなミスをしてしまい、上司に大目玉をくらった時のことだ。さすがの私もかなり落ち込んでしまい、普段あまり感情を表に出さないのだが彼女にも私が落ち込んでいることがわかったのだろう、心配そうに私のところに来てくれたまではよかったのだが、「くよくよの仕方がなってない」と言われた。
確かに人が落ち込んでいる状態を表現するのに使う言葉で「くよくよする」というのがある。以前からおかしな言葉だと思っていたが、彼女の中では「くよくよする」というのはきちんとした型があるらしく、どうも私のくよくよのしかたは彼女の中で失敗作らしい。「いい?見てて?」と彼女はくよくよのお手本を私に示した。こんな調子だから私もなんとなく元気付けられてしまうし、そうゆう部分では彼女にもすこしいいところがあるのかもしれないが、私に示したそのお手本はどう見ても「わなわな」なのだったその証拠に、彼女は口に出して「わなわな」と言っていた。「それ、くよくよしてないだろ」と訊くと「ばれた?」とはにかんでいる。可愛くないこともない。「私、新人類かも」などと照れながら言うので、「そうかもな」とそっけなく答えたが心の中では「おまえは天然だよ」と思っていた。
彼女に対して意味を求めるのはほとんど無駄な努力であることは以上の通り誰にも察せられる事実だろう。今、喫茶店に来ているのだって、彼女が「今日は天気がいいから釣りに行きましょうよ」と上州屋で釣具を買いそろえるという入念さでしたくをしてから、喫茶店に来たのである。釣具を一体この女はどうするつもりなんだろうと思うが、いつものことなので私も慣れているし、そのことについて彼女も特に考えはないようだが、左手に竿を持ちながらケーキを食べるのはすこし恥ずかしいのでやめてもらいたいものだ。
携帯電話が突然なって、まあこの女のことだから普通には出ないだろうなと思ってはいたが案の定、右手はケーキ、左手は釣竿で両手が塞がっているものだから、暫く竿とケーキと携帯電話の間で彼女も揺れたのだろう、しかしどうやら竿とケーキを選んだようで、いくらしつこく携帯がなろうと彼女は出ようとしないのだった。
「出ろよ、なにか急な用件かもしれないだろ」と言っても、ものすごく不服、という表情をまったく隠さず私を、キッ、と睨みつけるのだ。すこし戸惑いながらも、「睨むなよ」とやり返すと、「あなたを睨んでいると誤解されたらそれは謝る。わたしはあなたの顔ではなくて、その後ろにある壁を睨んでいたのだ」と謝罪されたので、そうか、とこれもそっけなく答えておいた。
そんな彼女の父親に来週会うことになっている。「結婚を前提に付き合っている馬がいる」と父親には話を通してある、ということだった。しかし、私は馬ではない。一体この女の父親はどんな男なのだろうかと興味をそそられないでもない。しかし、なりゆきでこの女と結婚してしまっていいものだろうかと、私は切実に心配している。
「俺、馬じゃないからな?」と心配になって訊いたが、「ふふふ、フランダース」という答えが返ってきたので、もうしょうがねえや、結婚しちまえ、と硬く決心をしたものだ。
これも幸せの一つの形なのかもしれないな、と思いながら冷めてしまったコーヒーを一気に飲み下した。

投稿者 hospital : 2003年11月17日 11:23