« 姉さん女房 | メイン | 温かい忘年会 »

2003年11月27日

見捨て妻

目を覚ましてベッドから顔だけ出して居間を眺めてみると
妻がスナック菓子を食べながらテレビを見ている。
窓の外を見るといつもと同じように向かいの団地の白い壁とイチョウの木の幹が見える。

「見捨ててもいいよ」

何度も聞いたセリフだ。
妻は私に顔も向けずテレビを見たままそう言った。
妻は今まで何度も私にそう言ってきた。

あれは結婚式の日。妻は下北沢で300円で購入した古着のアディダスのジャージで式場に現れ、

「見捨てていいよ」

と言った。案の定、妻は結婚式にそのままの姿で出席し、親族から非難を受けた。
また、父親へのスピーチの最中、実はそのジャージは購入したのではなく万引きしたのだと告白し
式場の空気を一瞬で凍らせた。


あれは二人で買い物に行った時のことだ。
妻は魚屋の前で「見捨てていいよ」とつぶやき、
二分後、大きなマグロを担いで私の前を走り去った。
走る妻を包丁を持った魚屋の主人が血相を変えて追いかけて行った。
その日の夜、妻は前身血まみれになり帰ってきて

「スジは通したよ」

と微笑みながら、大きなマグロと男の腕らしきものをドスンと台所のテーブルの上に投げた。そして

「アツイネ。もうすぐ12月だって言うのに」

と言いながら頬についていた返り血のようなものを拭った。


先日の選挙の日のことだ。妻は突然姿を消した。
妻は朝から私が見た事もないうすいピンクのスーツを着て白い手袋をしていた。
そして、

「よろしくお願いします」

と言い手を振って家を出て行った。
何時間経っても妻は帰ってこない。
私は街へ出て妻の行きそうな所を探してみたが見つからない。
選挙カーが通るたびにもしや妻が乗っていないかと考えた。
高校の卒業アルバムの将来の夢の欄に 『ウグイス嬢』 と書いてあったからだ。
しばらくしてスピーカーから大音量で軍歌を流した戦車のような大きな車が私の横を通り過ぎた。
よく見ると妻はその中から私に手を振っていた。


妻は活動的だがその反動か落ち込むことも多い。
落ち込むと妻は電子レンジの前に立ち、しばらくすると
どうやって入ったのかわからないがきれいに電子レンジの中におさまって無表情で中から私を見つめている。
いつも口数の多い妻なのにこの時ばかりはほとんど何も話さない。
たまに

「あたためて」

とつぶやく。私はその度に何も聞かなかったふりをするが少しすると妻はまた同じように「あたためて」と言う。
一度、1分間温めてみたことがある。
危険な事はわかっていたが妻なら大丈夫な気がしたのだ。
私はレンジのフタを閉めてあたためボタンを押した。

1分後、チンとベルがなり恐る恐るフタを開けてみると妻は晴れやかな顔をして出てきた。


妻を見ていて退屈する事はないが、一度も心がつながっていると感じたことはない。

あっけらかんと驚くような事をしたかと思えば突然元気をなくし、その理由を私に言う訳でもない。
私達はどういう夫婦なのか。

「見捨てていいのよ」

妻は私が考え事をしていると私の顔を覗き込んでそう言う。
心配してくれたのかと思い、顔を上げてみると妻の耳には色鉛筆がささっていたりする。
特にふざけている様子もない。

「わかってるのよ。私」

何をだ。

「私、少し変よね」

かなりな。

「頭冷やしてくる」

そう言って冷凍庫に頭を突っ込もうとした妻の腕を引っ張って私は言った。

「もうやめよう。そうじゃないんだ。おれは・」

私がそう言って言葉につまると、妻は突然泣き出した。
妻が泣いている姿を私は初めて見た。
妻は笑いながら瞬きもせず目をしっかり開いたまま涙を流してゆっくりと首を上下に振りうなずいている。

突然、妻は無表情になって言った。

「いつか分かり合えるなんて思ってないでしょうね」

そして、台所へ行ってしまった。

妻の背中一面には、いつ彫ったのか鬼の刺青がしてあった。
鬼の顔の隣には吹き出しの刺青が彫ってあり、そこに

「何も聞かないで」

という文字が彫ってある。

袖をまくりあげた妻の二の腕の辺には

「見捨てていいよ」

という文字が彫ってある。


私はもうなにがなんだかどうでもよくなって外に出た。
そして、庭の隅に落ちていたボロの傘でゴルフのスイングの練習を始めた。

投稿者 hospital : 2003年11月27日 12:01