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2003年12月29日

繊維喪失

「猫の手も借りたいくらいなのに」

年末の大掃除で忙しい妻が、なかなか手伝おうとしない私にそう言った。
手伝おうとは思っていたが、なかなかコタツから出る気になれない。


「ナイロンだってよく見れば繊維が編みこまれてるのよ」

何を思ったのか、妻は突然そんなことを言い出した。

「よく見て。わかるから」

そう言うと自分の着ているナイロンの上着を私に見せた。
じっと見つめてみると、確かに細い繊維が編みこまれているような気がした。

「へえ。そうなんだ」

対した興味もないかのように私はそう言った。

「体だって同じなの」

妻はそう言うと、今度は自分の二の腕を私に見せた。

言われてみれば確かに何か細胞のつなぎ目が見えたような気もしたが
それはただの細かいシワにも見えた。

「ナイロンはまだわかるけど体までは・」

私が間の抜けた顔で話し始めると、妻は私に近づき、手を握り締めた。
妻の手は震えていた。
妻が私にそんなことをするのは久しぶりだった。
妻は寂しかったのだ。

私はそう思ったがそうではないことにすぐに気づいた。

細かく震えていたのは、寂しくて震えていたのではなく、『私の手の細胞をほぐしていた』のだ。
5分ほどすると私の指先から一本の細い繊維が出てきた。
それはちょうど洋服から飛び出てくる糸のように見え、光の加減で見えるかどうかの細いものだった。

妻はそれをゆっくりと引き始めた。
私の指は徐々に短くなっていく。

1時間後、私は一本の長い繊維になっていた。
不思議と意識はしっかりとしていたが、目は見えないし、口も聞けなかった。
妻は繊維になった私をゆっくりと自分の体に編みこみ始めた。
そして、私の繊維をうまく編み込み、『猫の手』のような形を作り出し、
それを自分の左肩の辺りに縫い込んだ。
大掃除をなかなか手伝わなかった私への当てつけだろう。

「音楽かけるね」

妻は私にそう言った。
私は「うん」と答えようとしたが口がないので何も言えなかった。

「椎名林檎かけるね」

妻は続けてそう言った。
「いやだ」と答えようとしたが相変わらず話すことができない。
妻は『猫の手』を使って、CDをセットした。


その後、妻は無言で大掃除を続けた。
1時間ほど、何も話さなかった。

何を考えてやがる。
いつもわけのわからないことばかりしやがって。
なんて馬鹿な女だ。こんな女と結婚したのが間違っていた。

私は頭の中で妻のことを思う存分罵った。
大声で叫びたい気分だったが、口がないので叫べない。


突然、妻が言った。

「あなた。そんなこと考えてたんだ」

どういうことだ。

「私いつもわけのわからないことばかり言ってるかしら」

なんてことだ。妻に縫い込まれた私の思考は妻に筒抜けのようだ。
妻は続けて話し始めた。

「私だってあなたと結婚したこと後悔してない訳じゃないわよ」

そうか。

「あなた。やっぱり浮気してたのね」

え。

「ただの後輩だって言ってたのに」

浮気がばれている。
妻は私の思考だけでなく、私の脳すべてを体全体で理解し始めていた。

「あなたの脳ってすごく単純ね」

妻は話し続ける。
私は頭の中で言い訳を考え始めたが、口がない上にそんな考えも筒抜けなことに気づき途方に暮れた。

「途方に暮れたんだ」

そうだ。途方にくれたんだ。どうしようもない。

「開き直るのね」

うん。

「へえ。開き直る時ってこんなにくだらない気持ちなんだ」

うん。

「あなた。単純ね」

妻は吐き捨てるように話しつづけた。


それから妻はまた黙って掃除を続けた。
私の隠してきたことを冷静に判断しているのだろうか。
まあいい。勘ぐってもしょうがない。すべては筒抜けなのだから。

更に1時間がたち、大掃除が終わった。

すると、妻は猫の手になっていた私の繊維を解き始めた。
そしてまた私をまた一本の繊維に戻した。


すると、妻は私の繊維の先を指先でつまみ、庭へ出た。
そして、庭の大きな梅の木に私を縫い込み始めた。
私は木の繊維となった。

どうしようもなかった。
動ける訳でも話せる訳でもない。ただ考えることだけができる。
栄養は木から送られてくるので飢え死にすることもない。

私は果てしない絶望感を感じた。

「途方に暮れなさい」

妻はコタツから顔だけ出し、庭の木となった私にそう言った。

投稿者 hospital : 2003年12月29日 12:15