« 残留 | メイン | 素敵みたいな »

2004年01月21日

時計

結婚してすぐ、妻は私に時計をくれた。
特に高くもないが、かわいらしい時計だった。

私はその時計を気に入り
出かける時だけでなく、普段家の中にいる時でもつけた。
今や携帯電話にも時計機能がついているし
街を歩いていも、時刻を示すものはそこら中に溢れている。
腕時計などつけなくても生活に支障はない。
それでも私は毎日その腕時計をつけた。

妻はそんな私のことを微笑ましく思っていたのだと思う。
時計が見当たらず『時計時計』とつぶやきながら家の中をウロウロしていると
一緒になって探してくれた。
妻はそんな時、楽しそうだったし、私も楽しかった。

しかし、私には浮気性な所があり、新しくて素敵なデザインにも惹かれる。
新しい時計が目に留まった瞬間、それを手に入れたい欲望に駆られるのだ。

妻はそんな私のことを微笑ましく思っていたのだと思う。
結婚して3年ほどたち、私が家にめったに帰らなくなった時も私をとがめなかった。
Yシャツに口紅をつけて帰り、苦し紛れの言い訳をしている時は
一緒に苦しそうにしてくれた。

ちょうどその頃、妻の様子がおかしくなりだした。
突然、ぼおっとした表情で立ちすくんだり、食器を落として割ってしまうことも多くなった。
買い物へ出かけたのに、何を買うつもりだったか忘れたと言って帰って来てしまうこともあった。


偶然ね。

ある日、妻がそうつぶやいた。

私が新しい時計に心を奪われると必ず
妻がくれた時計の時間が遅れるようになったのだ。


それでも、私は新しい時計を買った。
新しい時計をつけて数日経ち、ふと妻がくれた時計を見てみると
秒針が凍りついたように止まっていた。

時を刻まなくなった時計ほど不気味なものは無い。

この時、私はすでに家を出て浮気相手の女の所で生活していた。


それから1年ほどたって、私は妻のことを忘れかけていた。
しかし、ふと時計のことを思い出すことがあった。
1年前に止まってしまったあの時計。

タンスの引出しを開けているうちに、それは出てきた。

時計は動いていた。

逆回転に。

刻一刻と反時計回りに時を刻んでいる。


それから何年もの間、時計は逆回転に回りつづけた。
私は薄れ行く記憶を辿って妻を探した。

ようやく妻と住んでいた家まで辿り着くと
私は、隠れるようにして塀の外から家の中の様子を覗き込んだ。
そこには妻と若い頃の私がいた。
妻は私に時計を渡している。それを嬉しそうに受け取る私。

次の瞬間、塀の外から家の様子を覗いていたはずの私は、家の中にいた。

目の前には出会った頃のままの妻がいた。

私の腕には真新しいあの時計がはめられている。

恐る恐る妻の顔を見てみた。

すると、妻はにこりと笑いながら私の手をそっと包み込み

「おかえり」

とつぶやいた。


妻の手は凍りついたように冷たかった。

投稿者 hospital : 2004年01月21日 16:07