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2004年01月29日

バモラ耳たぶ

「耳たぶって不思議」

なんで

「丸くて小さくて」

うん

「触るとすべすべしてて」

うん

「やわらかくて」

うん

「なんだか」

「耳たぶみたい」


近頃、妻の話に相槌以外の言葉を返していない気がする。

「こそばゆいかも」

妻は居間の椅子に座り、視点もしっかりと定まらないような目つきで話し続ける。

「なんて言ってみたりして」

妻はそう言って笑い始めた。
と言っても笑っているのは声だけで、何かに怯えているような目つきをしている。

「なあ」

妻に話しかけてみた。
話す話題もなかった。

気のきいたセリフが見つからない。

「なに?」

妻はすがるような目つきで俺の方を見た。


「どうにかならないもんかな」
「なにが?」
「俺たち」


どうにもならないのはわかっていた。
少なくとも今日みたいな日は早いところ眠ってしまったほうがいいのかもしれない。

お互い疲れてるんだ。

それでも話し続けた。

「どうにかなったらいいね」

妻は再び私から目をそらし、椅子の上で両膝を抱えてそう言った。

「こそばゆい」

妻は再びそう言うと、テレビのリモコンを手に取り、電源ボタンを連打し始めた。

テレビがついたり消えたりバチバチと音を立てる。

ちょうど教育チャンネルに映し出された鹿や象の映像が消えたりついたり
一瞬だけ浮かび上がる。

「象。」

妻はテレビ画面を見つめたままうつろな表情でつぶやいた。

俺は黙って台所へ行き、包丁を手に取り、まな板の上に左手を広げて置くと、
指の間に包丁をカツカツと連打し始めた。
人差し指と中指の間、中指と薬指の間、薬指と小指の間、
順々にものすごいスピードで包丁をまな板に突き刺していく。

部屋には妻がテレビの電源をつけたり消したりするバチバチという音と
俺が包丁をまな板に突き刺すカツカツという音がすさまじい速さで重なっていた。

そのうち、手元が狂い、俺は中指の側面を包丁で切ってしまった。
かなり深い傷だ。

妻はそんな俺の様子に気づき、慌てて俺のそばに駆け寄った。

そして、俺の手をつかみ、中指をじっと見つめた。
中指からは血が滴り落ちている。

「バモラ」

妻はそう言った。

「そんな宣伝あった」

妻は白目をむいてそう言った。

「カズ。ほら、サッカーのカズが黄色いビンもって叫ぶの」

「バモラって」

あったかもしれない。

「だから何だろう」

俺が聞きたい。


また、沈黙が流れた。
妻は俺の腕をつかんだままで、俺の指からも相変わらず血が流れ落ちている。


「なんとかなるわよ」

妻はそう言って、俺の薬指をつかみ

折った。


不思議と痛くないような気がしたが、すぐに激しい痛みを感じた。

「ねえバモラ」

バモラ

「あなたよ」

そうか

「あなたバモラ」

わかった。それでいい。

「ねえバモラ」

なんだ


「音楽でも聴こうか」

そうしよう


俺と妻はだまって寝室へ行った。
そして、横になり音楽を流した。

どんな音楽だったか。
静かな音楽だったような気もするし
ドラムが鳴り響く激しい音楽だったような気もする。

妻は音楽のリズムに合わせて

「耳たぶ」だとか「カズ」だとか合いの手のように口ずさんだ。

そして黙った。


「あなた」

なんだ

「もしも私が素敵だったら嬉しい?」


素敵じゃないなんて言ってない。


「もしも素敵で可愛らしかったらうまくいく?」

わからない。


俺は返事ができなかった。


妻は寝返りをうち、俺に背を向けた。

そして

「明日もバモラ」

とつぶやいた。
しばらくするとスースーと寝息が聞こえ始めた。


妻に折られた薬指の痛みと心臓の音が気になって
俺はなかなか眠れなかった。

そしておぼろげな頭の中で

明日は良い日になればいいと何度も繰り返し思った。

投稿者 hospital : 2004年01月29日 16:10