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2004年03月05日

商社マンの幽霊

「ええ、はい。ええ、その件でしたら先週の土曜日・・25日ですか、ええ、ご注文いただきました際に併せてご確認させていただいたはずでしたが、本日中にも結論をと・・・」

私の恋人のサトシ君はヤリ手の商社マンだ。


「・・・・ええ、ええ、はい、さようでございます。万一不備がございましたら、後日こちらのほうから・・・」

忙しくて、私といる時にもお客さんやら会社やらから電話がひっきりなしにかかってくる。二人の時くらい私のことだけを見つめてほしいけれど、しょうがない。
私はちょっと寂しそうに悪戯っぽい目で、熱心に電話応対をする彼の顔を盗み見る。「悪いな」私の相手を十分にできないことを悪く思っているのか、目だけで私に謝る。

「はい、ありがとうございます」すぐに真剣な表情に戻って電話に集中する。
「ええ、では・・・・ん・・・ええ、え?はい。あ、その件でしたら今度ゆっくりとブルマーを履いて魔がさしましょう。時間的含みは部長の方から頂いておりますので。ええ、10分少々です。あくまで含みですから5度傾けてください。やさしく。実直に、そして切実に・・・え?・・・」

「・・・それはブルマーだった。そのことがひどく寂しく感じられた。それは、死んだように凝固し、決め手はパンプスだった」

突然遠い目をしてタメ口を使い始めた。商社マンたるもの、主張すべきところは主張するというのだろう。私は手持ち無沙汰だから、絨毯の上に落ちている糸くずを左手で拾っては、一まとめにすることに集中する。いじけた恋人を演じているのだ。

「はい、カフェオレでびしょびしょです。ある意味度を越しているとの指摘もございますが、サハリンから迎えた工場長と・・・え?はい、ええ、びしょびしょです。バンダナを巻きはじめた頃を思い出すという意味で、先方はがんじがらめろと強気です。・・・ええ、ですから、ははははは。そうですそうです、むぎゅです」

お客様と笑顔を交えて打ち解けている彼。ところで、さっきから何について話しているのだろう?

「少々お待ちください」

と、突然電話口を手で押さえて私に向き直った。「ごめんな、大切なお客様なんだ・・・」私に悪いと思って気遣ってくれたのだろう、「ううん、いいの」と私も答える。「理沙子、悪い。ちょっと書くものとってきてくれ。それと、これだけは言っておくけど、俺はサトシだ」
メモの用意を頼まれて「うん、わかった」とすぐにペンとメモ帳をサトシ君に渡した。何かをメモする必要があるのだろう。

「ご用意できました。ええ、構いませんよ、え?はっはっは、社長ご冗談を。まさか、サトシである必要など」

そして、用意したメモに彼がすらすらとなにやら相手からの用件を書きはじめた。気になってちらっと盗み見ると、そこには

『ペガサスは羽が生えた馬だというから、笑えるじゃないか。はっはっパソコン』

と何行にも渡って書きつけられていた。何を意味するのか馬鹿な私じゃ到底理解ができないけれど、きっと重要なことなんだろうと思う。

「ええ、そのように全社的にキャンペーンを打たせていただいておりますが・・・、はい、うちは団地ですから。ええ、はい。チェチェン情勢のことは気になります。あくまで団地にこだわらなければ、犬だったと思って管理人に徹します。1000人に1人ですからねえ・・・」

と、突然神妙な顔つきになって「少々お待ちください」と携帯電話を机の上に放りだして、すくと立ち上がった。いつになく真剣な表情だ。かっこいい。

「あのな、理沙子」
「うん?」突然名前を呼ばれて、思わず赤面した。
「俺な、今からスクワットするから絶対瞬きしないで、蟹のこと想像しててくれ」
「・・・」お客さんは?
「いいか?毛蟹のようなな」
「ん?」

そして、ひたすらサトシ君はスクワットに集中した。少しだけ不自然に見える。まるで、なにか別の力が働いて無理やりサトシ君にスクワットを強制させているような・・・。

ふと気づいてガラス窓を見ると、そこにはいないはずの男が映っていた。サトシ君の体をがっちりと抱きすくめ、無理やりスクワットを強制させているはげ頭の筋肉質な男だ。え?幽霊?再びサトシ君のほうを見ても、そこにそんな人はおらず、ひたすらスクワットし続けるサトシ君だけがいる。よく見ると窓に映っているその男の首からは『商社マン』という名札がさがっていた。きっと商社マンの幽霊にとりつかれてしまって、サトシ君は突然こんなふうになっちゃったんだ・・・。放りだされた携帯電話の相手に救いを求めようとしたとたん、耳に入ってきたのは時報だった。

私は怖くなって、そのまま逃げ出した。「あ"あ"あ"あ"あ"ぁ・・・・・・・・!」という叫び声が部屋のほうから聞こえた。全然意味が分からなかった。

投稿者 hospital : 2004年03月05日 16:20