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2004年06月23日

未来は今

 博士とその助手である私が発明したのは、タイムマシーンとまではいかないけれどタイムマシーンの4分の1くらいの価値はある発明だと思う。『タイム電話』というなんとも単純な命名をされたこのマシーンは簡単に言うと未来の自分に電話をかけることができるものなのだ。タイムマシーンのように自分自身が未来へ行くことはできないけれど好きな未来に電話をかけることができる。もちろん過去へ電話することもできる。例えば突然、大好きな人とデートすることになった。でも連夜仕事ばかりで髪の毛も肌も荒れ放題。そんな時、1ヶ月前の自分に電話をかけて「ちょっと気をつけて」と言うだけで、電話を切るころにはキレイな身なりに変わっている。未来の自分に電話をかけて大好きな人との関係がどうなっているか聞くこともできるし、病弱な母の様態について聞くこともできるのだ。

 便利だね。

 博士はキョトンとした顔でそう言った。そもそもこの発明は私が高校時代から10年間以上も付き合っている彼との関係を考えすぎて頭がおかしくなりそうになり、選ぶ余地なしというくらいの勢いでたった一年間で発明したものである。我ながら恋の力とは恐ろしいと思う。名目上、博士と私の発明という事になっているが博士はなんにも関係していない。そもそも博士はもう何年も前から科学に興味を失っているのだ。詳しいことは知らないが、学生時代から熱心に温めてきた研究を親友であった男に盗まれ発表されてしまったらしい。それまでは第一線の科学者として社会的に注目もされていたが、今は見る影もない。まあ気持ちもわからないではないが、なんとも情けない話である。

 アタシがこの研究所に所属しているのもそのことが関係している。理系大学の大学院を卒業した後、アタシはまともな職につくでもなく夜のバイトなどをしながら荒れた生活を送っていた。彼ともあまりうまくいっているとは言えなかった。アタシはすべてが嫌になっていた。こんな自分が生きていることが苦痛だとまで思った。そんな時、同窓会で恩師である博士に再会し、今の研究所に誘われたというわけだ。もちろん博士自体やる気がないものだから、研究所とは名ばかりの、大手の研究所の下請けの内職所のようなものだった。まあアタシにはピッタリだと思い、アタシはこの研究所に入所することにしたのだ。

 それから3年が経ち、現在に至った。つくづく先のことはわからないものだと思う。こんなすごい発明をアタシがしてしまうとは3年前には夢にも思わなかった。ケンジへの想いがアタシにそうさせたのだ。アタシを良くするのもダメにするのもすべてがケンジへの想いなのだ。ちなみにケンジというのが私の彼で、職業は薬剤師である。


「ちょっと借りてもいい?タイム電話」

 博士はそう言って私の方を見た。

「未来のワシに聞きたいことがあってね」
「どうぞ」

 博士は電話をかけた。

「なんだかワクワクするね」


 プルルルル。プルルルル。

「あ。もしもし。えーとなんというか。ワシじゃ。えーとキミもワシなわけだけど」
「ああ。1ヶ月前のワシ?」
「そうそう。我ながら飲み込みが早いなぁ」
「どうしたんだね」
「あのなぁ。セッちゃんに貸したピンクフロイドのCDのことなんだけど。返ってきてるかなぁ。1ヶ月後には。もう3ヶ月も経っているんだけどなかなか返してくれなくてね」
「ああ。ちょうど今日返してくれると言っていたよ」
「そうか。良かった。と言ってもあと1ヶ月かかるわけじゃな」
「まあそうじゃな」
「うん。わかった。ありがとう。また電話する」

 ガチャ。

「ふう。ありがとう」

博士は深くため息をついた。実際、未来を知ることはそれほど良いことばかりではない。むしろ知らない方が良い場合がほとんどである。私自身、未来のケンジとの関係を知り、作戦を練るためにこのタイム電話を発明したが、恐ろしくてまだ電話をかけられないでいる。まあ今回の博士のCDに関しては未来の自分に電話をかけるよりも普通の電話を使って現在のセッちゃんに返してくれるように言った方が早いじゃないかと思ったが口にはしなかった。博士はそういう人なのだ。
 
 ところで、私はこの発明のおかげでこれから経済的にも豊かになるだろう。それに恋の目的で始めた研究だったがやっているうちに熱中してしまい、今では胸いっぱいの充実感を感じていた。この充実感を胸に少し羽を伸ばしたい気分だった。そう1ヶ月くらい。どこか海外の静かな別荘地で。

 私は博士に頼んで1ヶ月の休暇をもらうことにした。博士も研究ばかりしている私を心配していたようで快く受け入れてくれた。久しぶりの休暇である。私はケンジに電話をかけた。

「ケンジ?アタシ。あのね。ちょっと休暇を取ろうと思うのよ」
「そうか」
「それで、あなたも一緒にどうかと思って」
「ああ。いいね」
「いいのね?」
「無理だ」
「え?」
「無理に決まってるだろ。俺にも仕事がある」
「いいのよ。もう仕事なんてしなくて」
「そうか。素晴らしい考えだ」
「詳しいことは会ったら話すわ。今はアタシを信用して。会社は今すぐやめてちょうだい」
「ああ。考えとく」
「必ずよ」
「ああ。それとな。俺は忙しいんだ。二度と電話をかけてくるな」

 ガチャ。

 電話はそこで切れてしまった。どうも彼は私の話をまったく信用していないようだ。彼はいつもそうだ。私の話を聞いているのか聞いていないのかまったくわからない。イライラする。このイライラをどうにかしなくちゃ。今のアタシは幸せなはずよ。幸せじゃなくちゃいけないの。私はこの気持ちをなんとかしようと『タイム電話』を使って5分前の私に電話をかけることにした。


 プルルルル プルルルルル  ガチャ。

「もしもし。アタシ?」
「うん。アタシだけど」
「今アナタいい気分ね。ちがう?」
「その通り。最高の気分よ。だって今アタシは最高の発明をして休暇をもらってこれから1ヶ月間彼とバカンスに向かおうってところなんだから。あなたは?」
「最低よ」
「どうして?未来のアタシにそんな最低な状況があるなんて信じられない」
「自分のことよ。信用しなさい」
「いやよ」
「しっかり聞いて。5分後のアナタは今とはまるで正反対の気分になってるわ」
「へえ」
「それは今からアナタがかけようとしている彼への電話が原因なのよ」
「え?よくわかるわね。今からアタシが彼に電話をかけようとしてるって」
「我ながらなんてバカなの?アタシは5分後のアナタなのよ。アナタよりもアナタのことを知っているわ。文字通り5分だけ余分にね」
「そっか。でもどうして?彼がアタシの誘いを断るわけ?」
「そうよ。それどころか聴く耳すらもたないわ」
「なによそれ。ひどいわ」
「そう。だからこっちからしかけてやるのよ。適当に『行きたいんなら一緒に連れて行ってあげても良いけど』くらいの気持ちで電話してごらんなさい」
「いやよ。そんなの。アタシは真っ正直に生きたいのよ」
「カワイコぶってんじゃないわよ!アタシでしょ!しっかりなさい!アンタそんな可愛い女じゃないわ。アタシよく知ってるわ」
「わかったわよ」
「じゃあ頼むわよ」
「うん」

 電話を切って更に5分ほどすると私の気持ちは穏やかで落ちついた状態になっていた。どうやら「アタシ」はうまくやったらしい。そのままアタシはベッドの上で寝転がり枕に顔を押し付けたりしながら穏やかな幸せに浸っていた。

 はて。それにしても。

 気分が良くなったのはいいが、彼は一緒に旅行すると承諾したのだろうか。仕事は本当にやめてしまったのだろうか。そもそも過去が変わるというのは妙な話だ。今現在、現在進行形の私はこの5分間で変わった具体的な事柄をまったく把握していないのだ。これは重要な欠陥に思えた。

 接続部分を改良しなくてはいけないわ。

 接続部分とはつまり過去の自分と現在進行形の自分がぶつかる瞬間のことである。今回のことで言えば、彼に電話をかけてイライラしていたアタシと、何も知らずに彼に電話をかけようとしていたアタシが合体する瞬間である。今現在、アタシは具体的には彼にバカンスの誘いを断られた哀れな女のままであり、それなのに気分的には理由もわからずハッピーなアタシなのだ。

 おそろくこれは今後の大きな課題になるわ。

 研究者としてのアタシは不安と期待の入り混じった決意の気持ちになったが、すぐに女としてのアタシが目を覚ました。

 まあいいわ。知らないだけで事体は良い方向へ進んでいるんだもん。それに気分がこんなにもハッピーなのよ。今は思いッきり羽を伸ばせばいいの。そうだわ。今の状況がどうなってるかは、1分前のアタシに電話をかければいいんだわ。簡単なことだわ。

 アタシは『タイム電話』に向かった。

 
 あれ?


 おかしいわね。タイム電話が見当たらないわ。それどころか辺りを見渡してみると研究所全体がさっきまでと、まったく違う姿になっている。ふと振り帰ると、博士が青い顔をしてうつむいている。どうしたんだろう。

「博士。どういうことですか?」
「ワシはキミに謝らなくてはならん」
「何があったんですか?」
「ワシも突然のことでよくわからんのじゃが」
「はい」
「ワシが研究の成果を親友に盗まれてしまった話はしたな?」
「はい。たしか10年前のことですよね。それとこれと何か関係が?」
「ワシはキミの『タイム電話』を使って10年前のワシに電話をかけたんじゃ」
「え?いつですか?」
「たった今じゃ」
「でも『タイム電話』はアタシが使ってませんでしたか?さっきまで過去のアタシが使っていたはずです」
「そうじゃ。キミは『未来のキミ』と電話で話しておった。そして、その電話の後、すぐに普通の電話で恋人に電話をかけておった」
「どうな様子でしたか?アタシは」
「いや、彼にすぐに電話を切られ泣き出してしまってな」
「え?そんなはずはないわ。だって今のアタシは・」
「まあ最後まで話を聞いとくれ」
「はい」
「今のキミがハッピーなのはたぶん別に理由があるのだろう」
「はあ」
「話を戻すが、『過去のキミ』がタイム電話を切った後、ワシは10年前の自分に電話をかけた。ここまではいいじゃろ?」
「はい」
「そして、10年前のワシに『ちょっとボブに気をつけた方がいい』と伝えたんじゃ。『ボブ』というのはその親友の名前じゃ」
「はい」
「そして電話を切った。そしたらじゃ。タイム電話はおろか、ワシの大事にしていたマーティンのギターまでなくなってしまっていた」

 さっぱり訳がわからなかった。アタシとケンジのバカンスはどうなってしまったのだろうか。

 
 プルルルル。プルルルル

 その時研究所の電話が鳴った。タイム電話ではなく普通の電話だ。アタシが電話に出ると、受話器の向こうは何やら元気な男の声だった。

「やあ僕だよ。明日からバカンスへ行こうと思うんだけどキミもどうだろう」

 ケンジだ。彼からバカンスの誘いだ。どういうことかわからなかったけど私はそんなこと考えもせず有頂天になった。

「うん!もちろん行くわ!アタシも今そのことだけを考えていたのよ!」
「え?」
「どうしたの?ケンジ」
「キミは誰?キャサリンじゃないのかい?」
「誰ってアタシよ。サチコよ。アナタのサチコよ」
「すまない。キャサリンに電話を代わってくれないか?」
「キャサリンって誰よ!」
「悪いが僕には君の言っていることがまるで理解できない。キャサリンに代わってくれ」

 アタシが途方に暮れていると研究所のドアが開き、そこから金髪のスラリとした頭の良さそうな美人が現れた。そして、アタシのほうへ来てアタシのことを興味深げに眺めた後、電話に出た。

「アタシよ」
「キャサリンかい?」
「そうよ。キャサリンよ」
「明日からキミと地中海へバカンスへ行こうと思ってるんだ。どうだい?素晴らしいだろう?」
「無理だわ。アタシ忙しいのよ」
「そんなこと言わないで」
「しつこいわ。もうアナタとは終わったはずよ」
「キャサリン!待ってキャサリン!」

 ガチャ。キャサリンは無表情で電話を切ると、アタシに言った。

「今後、この男から電話がかかってきても取りつがないでちょうだい」
「え?」
「ところで、アナタ新人?かわいいわね。名前は?」
「サ・サチコです」
「そう。サチコ。いい名前ね。よろしく。アタシはキャサリンよ」

 キャサリンはそう言ってアタシと握手した後、「またね」と言ってさっそうと研究所を出ていった。

 どういうこと?アタシはもう何がなんだかまったくわからなくなってしまった。

「どうだい。進んでるか」

 
 突然そんな声がした。声の方を見てみると一人の男が立っていた。

「ボブ。ボブじゃないか!どうしてキミがここに」

 博士は男に向かってそう言った。男は笑いながら答える。

「何を言ってるんだ。まるで10年ぶりに再会したみたじゃないか。ボケるには少し早いんじゃないか?」

 博士はぽかんと口を開けている。

「時間はない。今週中に『綿棒とカイワレ大根の融合』について何らかのアタリをつけないと国からの資金がおりないぞ」

 博士はあいかわらずポカンと口を開けたままである。

「おい!しっかりしろ」


 そう言ってボブという男は博士の腕を引っ張って研究室を出て行った。アタシは一人研究室に残された。

 カイワレと綿棒の融合?

 ボブ?

 ボブというのはたしか10年前博士を裏切った男の名前だ。今の男がそのボブだとしたら、今、当たり前のように博士に話しかけられるはずがない。そしてカイワレにも聞き覚えがあった。たしか博士が10年前、ボブに盗まれた研究とは『カイワレ大根と猫の融合』についての研究ではなかったか。少しずつ話が読めてきた。

 博士はさっき10年前の自分に電話をかけた。『ボブに気をつけろ』と。10年前の博士は、その言葉の意味を察し、ボブに対して何らかの対策を立て研究を盗まれずに済んだのではないだろうか。つまり、博士の研究はそれからも継続され、博士は今も第一線の科学者のままなのだ。さっきから目に付くこの研究室のそこら中にあるカイワレ大根はそのせいだろう。

 キャサリンは博士の研究を手伝うために引き抜かれた科学者なのだろう。今やこの研究所はアタシのようなボンクラの学生上がりが雇われるような所ではなくなったのだ。薬剤師であるケンジがこの研究所に出入りしていて、キャサリンと関係を持ったとしても不思議はない。

 大体のことは読めてきた。

 世界はまったく変わってしまったのだ。すべてアタシのあの『タイム電話』のせいだ。では、今アタシがここにいるのはなぜだろうか?色んな研究所に飛ばされた結果、なんらかの理由でこの研究所に辿り着いたくらいの所だろうか。案外『カイワレ大根とボンクラ研究員の融合』などという研究が進められていて私はサンプルとして呼ばれたのかもしれない。
 
 何か手がかりになる物はないかと辺りを見渡してみるとあたしの着ているYシャツの胸の所に、『清掃員』とかかれたバッジがつけてあった。

 そうか。清掃員か。

 まあ今更どうだっていいことだ。一つわからないのは、なぜさっき、『アタシ』が幸せな気分になったのかということだ。『過去のアタシ』もあいかわらずケンジに断られた訳だし、そもそもあの幸せを感じた時の『アタシ』はもうケンジと関わりすらないはずなのだ。ではなぜ。

 ふと、ポケットに手を突っ込むと煙草と一緒に何やら紙が入っている。

「自給が今月から950円にアップします。これからもみなさん力を合わせて研究所を清潔に保ちましょう」

 私は途方に暮れた。涙すら出なかった。


 プルルルル プルルルル


 また電話が鳴った。

「もしもし」

 ケンジだ。

「ケンジ」
「変なこと聞くけど、サチコってあのサチコかい?」
「あのサチコってどのサチコよ」
「僕と高校時代付き合っていたサチコかい?」
「たぶんそうよ」
「やっぱりそうか!さっきはごめん。まったく気づかなかったんだ」
「いいわよ。アナタに傷つけられるのには慣れてるわ」
「ひどいな。何年前の話だよ」
「そうね。20分くらい前かしら」
「高校時代と変わってないね。あいかわらずキミは変なことばかり言う」
「事実を話してるだけよ」
「突然だけど、僕とバカンスへ行かないかい?」
「は?」
「キャサリンと行くつもりで飛行機のチケットから向こうのホテルの予約まで全て用意してしまったんだ」
「へえ」
「こんなこと失礼だってことは百も承知だよ。だけどここでキミとこうしてまた出会えたのは運命だと思うんだ」
「運命どころか、ものすごく科学が絡んでいるわ」
「はは。そうかもね。どうだい?いいだろ?」
「そうね。考えとくわ」


 結局、することもなかった私はケンジと地中海へのバカンスに出かけた。地中海の浜辺で夜空を見上げながら二人で寝転んでいた。星がきれいだ。

「ところでキミが働いていた研究所の博士にピンクフロイドのCDを借りたままなんだけど」
「あら。面白い話ね」
「え?」
「ううん。こっちの話。返して欲しかったら連絡してくるでしょ」
「そうかな」
「そうよ。気にすることないわ。気にするだけ損よ」

「先のことなんてわかるはずないんだから」

投稿者 hospital : 2004年06月23日 16:39