« 世界の終りが終わったら | メイン | 丘の上のネコと空 »

2004年08月12日

スイッチ

子供の頃に死んでしまった母親から、僕は何度も「スイッチ」のことについて聞かされた。
それは誰にでもあるものだと僕は信じていたが、実際そうでもないらしい。僕の耳たぶの裏側、すこしくぼんだその位置に軟骨のように固く角張ったスイッチのようなものがある。物心ついたころからあったし、そもそも母親の口ぶりはそこにあるのが当然かのようだったので、誰にでもそのスイッチは知られている(存在する)ものだと思っていたが、僕が成長するにつれてその存在は特殊なものだということが分かり始めた。

誰にでもあるものではないらしい。こんなことをまじめくさって話し出したら今では狂人かその類に思われてしまうだろう。しかし僕にとっては当然あるものだと認識されていたのだから、そのスイッチの存在について知っている人間のほうが特殊だという事実に気づかされた時には正直狼狽した。
位置が位置だけに、なかなか折り入って見せてもらえるものではない。僕自身なんとなくその「スイッチ」の奇妙さに勘付きはじめていたころ、さりげないようすで周りの人々にさぐりをいれた。どうやらスイッチなど普通はありえないらしい。さぐるにつれて、それは少しづつ明らかになった。
鏡を二つ使って、器用に僕の耳たぶのうらを映し出すと、そこには丁度家電製品にみられるようなスイッチ様の突起物がみえる。母によるとそれをOFF(現在の位置をONとするならば)に切り替えてしまえば、僕はたちまち死んでしまうというのだ。このように子供の頃から「死」というものを恣意的に操作できるものなのだと僕は思いこんでいた。子供の頃なら誰だって「死」に対して無条件の恐怖を感じていたはずだろうから、僕とて例外でなくそのスイッチは恐るべきものだったし、あまり触れようとは考えられるものではなかった。なにかの拍子でそれがOFFに倒されてしまったら僕はたちまち意識を失ってしまい、気づかぬうちに死んでしまうのだろうから注意するのが当然のようになっていった。
自殺という言葉を知るようになったが、僕にはなんだかぴんとこなかったものだ。死んでしまいたいときがあるなんてことをいう人間をみかけるようになったが、僕にはその言わんとするところが分からなかったのだ。死というものは、なかなか自分で操作できるものではないらしく、死を手に入れたいと欲する局面に人が立たされた場合、その生と死の狭間で苦悶するというのだ。上記のスイッチを知る僕にその真意が理解されづらかったのは容易に想像できるだろう。だから、なにかを苦にして首を吊ってみたり動脈を派手に切り裂いたりするのはなにかしらパフォーマンス的なものに僕にはうつるのだった。
冒頭に書いたとおり、現在僕には母親がいない。子供のころ住んでいた屋敷の、北側に配されたいつも薄暗くてじめじめしていた台所の椅子で、母は一日の殆どの時間を過ごしていた。朝も、また夜も、彼女は家族と食事を共にする事はなかった。子供心にどうして皆と食事をとらないのか不思議に思って何度か尋ねたが、そのたび彼女は曖昧に返答をぼかした。そのことについて他の家族は不思議となにもいわないようだった。
僕だけが思っていることだったかもしれないけれど、母の理解者はこの家族には僕だけなのではないだろうかと、はっきりとではないが思っていた。そのスイッチの話も僕以外には言っていないようだったし、母は家族に対して誰にでも曖昧だったけれど、不明瞭な部分で僕に何かを感じていたようだし実際僕だけを特別扱いしているようなところがあった。それは具体的にどこがと問われると困り果ててしまうのだが。
そんな風に彼女の家族の中での位置は特殊なものだった。他の家族の中で僕は「母親」というものをみたことがないのだから彼女を「特殊だ」と断定してしまうことには少し抵抗はあるものの、僕の目には自分の存在もふくめて、母親を特別扱いしていたし、また僕は、家族に対しての当然の愛という言葉があたるのかは甚だ疑問だが好意のようなものは抱いていた、がそれは単にそれだけに過ぎず、母と僕だけが共有している何かを家族の他の人と共有できるとは思っていなかったし、共有しようとも思わなかった。家族の中で僕と母だけが別の次元に立たされていたのだった。
ある日小学校から戻って薄暗い台所に向かった。比較的広い屋敷で、僕は外から戻ると母のいる台所へ直行するのが殆ど日課となっていた。その日も帰ってきた僕を見ると曖昧に顔をこちらにむけただけで「おかえり」とも言わずに目の前の空間を座ったままじっとみつめている。かといって僕らの間に会話がないかというとそうでもなく、なにかしらについて二言三言交わされたりもするのだが、僕の短い人生のなかでは母との会話は他の誰との会話とも異質で、印象深く記憶されている。そんな会話の中で件の「スイッチ」についても触れられるのだ。
その日の母は普段よりも一層曖昧だった。普段あまり余計なものは口に入れない母にしては珍しく家の前の自販機で買ってきたものだろうか、ジュースの缶を左手にもってじっとしていた。炊飯器のあげる蒸気の音だけがしんとした台所に響いていた。
ふと唐突に彼女は右手を自分の耳たぶの裏側へと持ってゆき、と同時に崩れ落ちた。薄暗い台所の床に母が倒れこみ手に持っていた缶からは黄色い液体がこぼれて床の上に広がった。父が戻ってくるまでの何時間かの間、僕はその場所で母の遺骸と一緒にいた。帰ってきた父は慌てていたようだったが、僕にはなにも不自然なものはないように思えた。母の死は家族にとって事件だったが、僕にすればただスイッチがOFFにいれられてしまったような話だったのだ。
幼少の頃死と言うものを僕は非常に恐れ、母の胸の中に抱かれてその恐怖に理解を求めるべくさめざめと泣いていたことがある。成人した今となってはそれほど死と言うものを意識することもなく、またあれほど脅えることもない。一体あの恐怖はなんだったのか答が分かるわけでもない。耳たぶの裏を触ってみると、やはりあのスイッチが一定の固さを保ちそこに屹立している。少し弾くだけで僕は死んでしまう。たったそれだけのことなのだろうけど、僕はそれを弾こうとは思わない。

投稿者 hospital : 2004年08月12日 18:30