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2004年08月18日

丘の上のネコと空

よく晴れた日曜日の朝だった。

オレは小さな塗装会社に勤めていて
その社員寮に一人で住んでいた。
南側に一つ小さな窓がついているだけの6畳一間の部屋だ。

その日は休日で、どこへも行かず部屋で本を読んでいた。
ふと、窓の外に何か見えた気がした。

それは、猫の行列だった。

部屋は一階にあって、小さな窓の向こうには
ちょうどオレの背丈程度のコンクリートの塀がある。

その塀の上を、猫が行列になって歩いているのだ。
猫の行列は窓の右から左へと通り過ぎていく。
しばらく眺めていたが、行列はいつまでだっても途切れない。
オレは窓に近寄り、顔を窓の外に突き出した。

猫の行列は、江戸川の堤防までつながっていた。
窓から突き出した頭を左右に振ってみたが、
行列の終わりも始まりも確認できない。
堤防の上を、猫の行列が埋め尽くしていた。
行列は細く長く果てしなく続いていた。

その景色を眺めていると、空から声が聞こえた。


「えーと。神様だよ。

あのぉ。信じてくれないかもしれないけど、僕、れっきとした神様なんだ。
突然だけど、今、まだ人間として残っている人達にお知らせがあって、空から呼びかけてるってわけ。

びっくりしないでね。
勝手だ!って言われるの覚悟で、地球の大半の人を猫にしたんだ。

まわりくどい言い方はやめるね。
今、人間として残っている人は、全部で100人なんだ。
地球上にね。

僕、最近、神としての仕事をちょっとサボってて。
えーと。もう1000年くらい。
言うの恥ずかしいけど、長い間、鬱病だった。
今更、鬱病はないだろ。がんばれ。って地獄の閻魔大王にまで励まされてさ。
この度、久しぶりに仕事しようかなと思って
ほとんどの人、猫にしちゃった。

ああ、わかってる。
なんでよりによって猫なんだ!なんて言わないで。
そういうこと聞かないで欲しい。

わかってね。
大事なのは、今、地球上に人として残っているのは全部で100人ってことなんだ。

最初はね。
こんな空から呼びかけるなんて大胆なことしないで
一人一人に電話をかけてたんだよ。

「あのぉ、神ですけどぉ」

とか言ってさ。

その残った100人一人一人にね。
でも、

「あなた100人のうちの一人に選ばれたよ。あとの人はみんな猫だよ!」

って言ったら、みんななんて言ったと思う?

「嘘つけ」とか
「間に合ってます」とか
「またあなたですか。あなたとはもう終わったはずです」とか

みんなひどい対応ばかり。
僕もさすがに嫌になっちゃって。
それで、しょうがなく空から話しかけてるんだよ。

そうそう。それで肝心な伝えたい内容だけど

100人のみなさん。

僕は、あなた達を無作為に選んだ訳じゃないんだ。

よく考えてみて。
確かに鬱病になっちゃったり不安定なところもある僕だけど、
人間や、動物、植物や昆虫だって僕が作ったんだからね。
僕はやるときはやる神様なんだ。

だからね。
100人のみんなには、

『自分は選ばれたんだ』っていう意識を持って行動して欲しいんだ。

選んだ基準は言わないでおくね。
その方がうまくいくことが多いんだ。

ゴキブリっているでしょ?
あれ失敗したんだ。
彼らを地球上に残したときね。
最初に、なんで残したか詳しく説明しちゃったんだよ。

そしたら彼ら、へんなプレッシャー感じちゃったみたいでさ。
それであんな姿になっちゃったんだよ。
君達にはきれいな姿のままでいてほしいからさ。

ごめん。話長くなるからこの辺にしとくね」


それは、突然のことだった。

頭の中に直接話しかけられているような
落ち着いていて、人を安心させる声だった。
だから、彼のことを神様だと信じることができた。

みんな猫になってしまった。
その事実を心の中で何回か繰り返して唱えてみた。
悪いことだとも良いことだとも思わなかった。

部屋を出て、堤防の上まで駆けていった。
猫の行列は無数に続いていた。
終わりも始まりも見えない。

みんな猫になった。
偉そうな上司も、生意気な後輩も、友達も、親も、みんな猫になった。
もしかしたら彼らのうちの一人でも、100人の1人に選ばれてるのではないかと思ったけれど、
それはあまりにも現実感のないことに思えた。

少しずつ、孤独が押し寄せてきた。
裕福ではないけど、それなりに、静かで楽しかった生活が、消えてなくなってしまった。
残ったのは、あまりにも静かすぎる生活だった。

トラ柄の猫、パンダのようにフワフワと毛の長い猫。
きつい目をした猫。タレ目の猫。
真っ白い猫。丸々と太った猫。がりがりに痩せた猫。
きびきびと歩く猫。のんびり歩く猫。

目の前を色んな猫が歩いていた。
人間が猫になっただけで、大きな違いはないように思えた。
ただ、オレは人間として残されたのだ。

手にペンキのバケツを持った。

赤いペンキをバケツの中にいれ、
ハケにたっぷりと赤のペンキをつけ、目の前を歩いて行く猫を塗った。
猫はどんどん赤くなっていく。
下手に塗ると、焼け爛れてしまったような姿になってしまうので、丁寧に塗った。
猫は気にせず歩いて行く。

塗り始めたのは昼だった。
それから夜にかけて、黙々と塗り続けた。
バケツがカラっぽになるごとに、色も変えた。
緑色、黄色、青、また赤、黄色、茶色、紫。

ふと、空を見上げた。
こんな馬鹿なことをして、神様は俺を選んだことを、後悔しているんじゃないかと思ったのだ。
目の前にはただ紺色の夜空があるだけだった。
その空の向こうに神様がいるとしたら、
彼はあきれているようにも、笑っているようにも思えた。

もう、夜の12時を過ぎていた。
次に空を塗ることにした。
ハケにたっぷりと青のペンキをつけ、一気に塗った。
曇った夜空は、青くなり、その部分からは光が差し込んだ。
真夜中の太陽が土手を明るく照らした。

その明るくなった土手の上に、白いペンキで、猫の絵を描いた。
決してうまく描けた訳ではないが、スマートで生意気そうな白猫だった。

白猫は、大きなアクビをして、伸びをした。
そして、目を細めて後ろ足で頭をかき、もう一度大きなアクビをしてから立ちあがった。
白猫は、行列の間を通り抜けて、
土手を降り、もう誰もいなくなって空っぽになった商店街のほうへ歩いていった。

しばらくして白猫は降り返った。
オレのことを見ている。
オレもバケツを手に持ったまま、猫を見た。
しばらくして、猫は視線を外し、街の角へ消えた。

手に持っていたハケには、まだ白いペンキが残っていた。
そのハケで、自分の左腕を塗った。

腕は白くはならずに、透き通った。
腕は消え、代わりに土手の地面が見えた。

足を塗った。
足も消えてしまった。
下半身が消え、胴が消えた。
次々と自分の体を塗りつぶしていった。

塗られた部分は透き通り、それは色だけでなく、
実態もなくなっている気がした。
その証拠に、首と右手とわずかに残った肩は
宙に浮かず、地面に落下した。
そのすぐ脇を、猫の行列がさっきと変わらない澄ました顔で通り過ぎて行く。
残った右手で、自分の肩と顔を塗った。

そこで意識も消えてしまった。

あとには右手だけが残った。
その脇を猫が相変わらず歩いていた。

一匹の猫が、行列からはずれ、右手を口にくわえた。
茶色い縞の入った猫だ。
集団を離れて心配なのか
辺りをキョロキョロと見まわしている。

少し離れた所に、その縞猫を振り返り、待っている集団がいた。

茶色い猫はその集団を見つけると、
小走りで近づいた。

そして、また、行列に加わり、歩き出した。

投稿者 hospital : 2004年08月18日 23:42