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2004年08月29日

キャッチボール

「キャッチボールしよう」

お昼になって買い物に出かけようとしていたら、近所に住んでいる男の子が言った。

しょうがなく私はグローブをはめてキャッチボールをすることにした。

男の子は、私に何かを投げてよこした。

しかし、それはボールではなく


『手』だった。



「お父さんの『手』なんだ」

男の子は言った。

グローブの中にあるのは確かに『手』だった。

切り口からはまだ血が出ている。


男の子は次に

髪の毛を束にして、ボールのように丸めたものを、私に向かって投げた。


「お母さんの『髪の毛』だよ」

それは私の目の前にボトンと落下した。

そう言えば、この子の母親はこんな茶色い髪をしていた気がする。


男の子はまた何か取り出した。

それは、刺身のような赤い肉片だった。


「アンタの夫の唇だよ」


男の子はそう言って投げた。

よく見てみると、たしかに夫の唇に似ている。


「アンタの夫の唇だよ」


男の子はすました顔をしてそう言った。




「あら、奥さん」

声がして降り返ると、男の子の母親だった。

髪の毛がない。


「ウチの息子見ませんでした?」


見るも何も、私の隣にいる。


そう言おうとしたら、男の子が私の服の隅を引っ張って言った。


「『見てない』って言って」


しょうがなく私は『見てない』と母親に伝えた。


「おかしいわね。さっき私の髪の毛持って出たっきり帰ってこないのよ」


母親はツルツルの頭を撫でながらそう言った。


「これじゃ買い物にも行けないわ」


男の子は、地面に転がっている母親の髪の毛を指差して、ケタケタとお腹を抱えて笑っている。


「主人の手もなくなったのよ。困っちゃうわよ」


母親はそう言ってむくれている。


「だから主人、今、右手ないの。腕はあるのよ。だけど手首から先がないのよ」

「・・・・」

「まったく嫌になっちゃうわよ」


私はグローブの中を覗いてギョッとした。

さっき、キャッチした『手』がそのままグローブの中に入っているのだ。

まずい、と思ってサッと隠したが、母親はそれに気付いた。


「奥さん。今なにか隠さなかった?」

「い・いえ」

「ううん。確かに何か隠したわよ。怪しいわ」


母親はそう言って私のグローブを無理やりつかんだ。


その瞬間、ゴロンと『手』が地面に落ちた。


「奥さん」


「ちがうんです!これは・」


まずい。なんとか誤魔化さなくちゃ。


「ちがうんです!これはさっき・」

「こんなとこにあったのね」

「は?」

「良かった。なくなっちゃったらどうしようと思ってたのよ」

「え?」

「ほんとにありがとう。奥さん」


そう言って母親はその手をつかんで家に戻った。

しばらくして、今度は夫婦そろって出てきた。

「すみません。ご迷惑おかけしました」


男の子の父親は私にお礼を言った。

右手のあたりを見ると、生々しく継ぎ目が残っていた。

というより、セロハンテープでくっつけただけで、ちょっと引っ張っただけでまた取れてしまいそうだった。

手はもう紫色を通り越して、真っ黒だった。


「あふいでふねぇ」 (暑いですねえ)


私の背後に、会社に行っているはずの夫が立っていた。

唇が剥されたようになっていて、口からは血が溢れていた。

「ひゃあ。はっきね。おはくのおほはんにくひひふおほはへへひはって。うまくはへへはいんでふよ」

(いやあ。さっきね。お宅のお子さんに唇を取られてしまって。うまくしゃべれないんですよ)

夫はそう言って笑っている。


「あなた・・大丈夫なの?」

「はひは?」 (なにが?)

「なにがって・唇・」

「はいじょふはよ」(大丈夫だよ)



夫の口からは血がドボドボと溢れ出していて、シャツも真っ赤だった。


『唇』は道路に転がったままだ。


男の子はしゃがんで『唇』を木の枝で突っついてキャッキャキャッキャと喜んでいる。

私は『唇』を拾い上げて、夫に渡した。


「こ・・これ」

「お!おはへはほっへはほほ。ほはふよ。はっはふ」 (お!お前が持ってたのか。困るよ。まったく)


そう言って夫はグリグリとその肉片を口の辺りにねじ込んだ。


「おひ。ほへでだいほうぶ」 (おし。これで大丈夫)


大丈夫ではなかった。

得体の知れない肉の塊が、口の辺りにくっついただけだった。

もはや人間の顔ではなかった。



男の子はすましている。

そして、また新たに何かを取り出して、私に投げようとしている。


それはピンク色の肉の塊だった。


「脳ミソ」


え?


「あんたの脳ミソだよ」



それは小さな放物線を描いて私の手の上に落下した。


手の上でクシャっと崩れた。


本当に私の脳ミソなのだろうか。


どうしよう。


ふと、夫たちのようにこの脳ミソを強引に頭の中にねじ込もうかと思った。



でも、それはやめた。



私は脳ミソを地面に捨てて、さっさと家の中に引き上げた。

投稿者 hospital : 2004年08月29日 00:58