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2004年09月09日

和服の女

「命からがら逃げてきたんです」

和服を着た女が私の部屋を訪ねてきた。

「追う人間がいれば逃げる人間もいるということでしょう」

女は訳のわからないことを話し続けた。

「履物はここでよろしいでしょうか」

そして、履いていたサンダルのような和服用の履物を脱いで部屋に上がった。

見たこともない女だ。

私は驚いたが拒みもせず部屋に入れた。

「それはもしかしたらアライグマの仕業かもしれません」

「私もアライグマに詳しい訳ではありませんので、一概にそうとは言えませんが」

女は真剣な顔をして私にそう言った。

「しかし、手口からしてそう考えるのが妥当でしょう」

「私にできることがあったら何なりと」

女は私の手を両手でやさしく包み込んで、じっと目を見つめ、

「大丈夫。アナタの気持ちが落ち付くまでここに私もおりましょう」

と言った。


なぜだか私は相談に乗ってもらっているような気分になってきた。
お茶を入れ、その女に出した。
女は背筋を伸ばして正座をしている。

「お気使いなさらずに。私達はもう同志なのですから」

「駆除しなくてはなりませぬ」

「悪の根源を」

女は真剣な顔をして私を見つめ、お茶をすすった。


「例えば、このお金」

女はそう言って、私のタンスを勝手にあけ、中から一万円札を何枚か取り出した。
私のタンス貯金だ。

「こうしてやります。私は」

女はそう言って、それを破った。
そして、すぐさま丁寧に懐にしまった。

「人はくじけやすい生き物です。でも、志を通す事に意味はあります」

女はそう言ってまた座り、お茶をすすった。

玄関のチャイムが鳴った。

ケンジだった。

ケンジとはもう付き合って3年になる。

ケンジは部屋に上がり、和服の女を不思議そうに眺め、探るような目でおじぎをした。

「うむ」

女はケンジをちらっと見た後、そう言って、うなずくようにしておじぎをした。
そして、またお茶をすすった。

「男がいます」

女はまた話し出した。
ケンジは私の隣に座った。

「世間にはたくさんの男がいます」

「しかし、男であることも女であることも意味などありませぬ」

「こうしてやりなさい」


女は立ち上がり、ケンジの腕をつかむとベッドの方へ連れていき、そこに寝るように命じた。

そして、女は帯をとき、着物を脱いだ。

真っ白できれいな体だった。


女はケンジにズボンを脱ぐように命じた。

ケンジはアタシにオドオドした目を向けながら脱いだ。

それから30分ほど、私は二人の行為を黙って見ていた。

二人の出す声と熱気が部屋を支配していた。

ケンジが果てると女はまた着物を着て、私の前に座った。


「生まれたからには死なねばなりますまい」

女は目を見開いてそう言った。

「幸せ。そんなものは存在しませぬ。だからこそ人は生きていけるのでありましょう」


女は立ちあがり、私の部屋の金目のものや、預金通帳を片っ端から見つけ出し、懐に入れた。


「こんなことに意味などありませぬ」

「志。それのみが人を人たらしめるのでありましょう」


女はそう言ったあと、ケンジにズボンをはくように命じた。

ケンジは慌てたように急いでズボンをはいた。

女は玄関に立って

「短い間でしたがお世話になりました」

と言って丁寧にお辞儀をすると、続けて

「行くぞ」

とケンジに言った。


ケンジはすまなそうな顔をして私に何回も頭を下げながら、背中を丸めて女と一緒に出ていった。

私は部屋に一人残された。

お金もケンジも一瞬のうちに失ってしまった。

部屋は静かだった。

冷蔵庫の音だけがゴーと遠くの方でなっていた。

それから何日してもケンジは帰ってこなかった。

それでも私は女のこともケンジのことも恨まなかった。

しばらくして、私は金持ちの男と知り合った。
金持ちなだけでなく、顔立ちも良く、一緒にいて楽しい男だった。

すぐに私達は恋に落ち、しばらくして結婚した。


「あなた幸せね」

最近、友人達によくそんなことを言われる。
でも、そのたびに私は少し不思議な気持ちになる。

私は今、都心の閑静な高級住宅街の一角に住んでいる。
大きな平屋の日本家屋だ。
庭も広く、今日みたいな良く晴れた日に縁側に座ると気持ちがいい。

私は和服を着てそこに座っている。


「意味などありませぬ」


たまに女の言葉を思い出す。

そして、ケンジと女が私の部屋を出ていった日のことを思い出す。

でも、私には何も感じられない。

もう夏も終わったというのに精一杯泣き続けるセミの声だけが

不思議と気持ちよく私の心に響いてくる。

投稿者 hospital : 2004年09月09日 01:15