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2004年10月21日

電話にて

ええと、はい。ちょっと待って。はい。抜け毛が。うん。

まあ、秋ってのは動物にとって生え代えの時期なんですよ。
それは人間でも例外じゃありませんから。
だからまあ、気にしないのが一番だと思うのですが。
ええ、ムリ。そうですか。
弱ったなぁ。



あの、伺いますが、出身は。
そうですか。静岡ねえ。
ノンビリ屋さんが多いと聞いてますが、どうですかあなたは。
そんなことより抜け毛の事を答えてくれ?
そう急かさないで下さい。あなた本当に静岡出身ですか?
今、あなた受話器を持ってますよね。
ああ、そう。子機ですか。
その子機は右手で?
そうですか。じゃあそれを右の頬にそのまま強く押し当ててください。
なんでかってやる前から聞かないで下さいよ。
強く押し当てるくらいやってみたって損はないでしょうが。

跡がつきましたね。

は?だから右の頬に。
強く押し当てたらそこになんらかの跡がつくでしょう。
赤く。ええ、すぐに消えちゃうような跡ですよ。
それでですね。
そのまま、洗面所へ向かってください。
そして、鏡にその跡を映して下さい。
バカに?してませんよ。
あのね。電話してきたのはあなたですよ。
何かに困っている人が私に電話してくるのでしょう。
私からあなたに電話して、こんな事言ってるとしたら
押し売りだとか宗教だとか言われても我慢しますよ。
だけど、電話してきたのはあなたですよ。
私はムダな事なんて一つも言ってませんよ。
言うとおりにしてください。

ええ。鏡に映した。
それで、何に見えました?
だから、その跡ですよ。
電話を強く押し当てて頬に残った跡はどんな形をしてましたかと聞いてるんです。

イルカ。

イルカですか。
弱ったなぁ。
え、いやね。例えば、まんじゅうだとか、三日月に見えましたなんて言う人が多いんですよ。
見たまんまの形を何の想像力もなく、まんじゅうだとか三日月と答える人がね。
あなたみたいな、こういう言い方は失礼ですけど、
抜け毛を気にしているような人が『イルカ』だなんて少し夢のあることを言い出しますとね。
私はどう思うかと言いますと、

この人、社会的に問題があるんじゃないかと思うわけです。

わかります?わかりませんよね。
はい。すみません。勘です。
駄々をこねる上にメルヘンな人を見るとですね、あのひどい言い方ですけど、私じゃなくても

この人、もしかしてマザコンなんじゃないだろうか。

なんて思ってしまいますよ。
ええ、すみません。
お願いですから怒らないで下さい。
『マザコンじゃない!』なんて言われたら、それこそマザコンだと確信してしまうじゃないですか。
耐えてください。
軽く笑い飛ばしてください。
『面白いこというなぁ。ははは』くらいでちょうどいいのです。

話、変わりますけど

あなたチノパン履いてませんか?

でしょう。ベージュの。
でしょうね。目に浮かびますよ。
それで、上着はサイズ小さ目のポロシャツじゃないですか?
ずいぶん昔に買った。ゴルフ用の。
違います?そうですか。おかしいな。じゃあ何を。

ランニング?

もっとひどいじゃないですか。
悲しくなりそうなので仕事は何か聞かないでおきますね。

いいですか。
口答えしないで、私の言うとおりにしてください。
そのランニングを脱いでください。
そして、あなたの持っている一番まともな服を着なさい。
あなたのマトモの基準も怪しいものですからねえ。
そうだなぁ。
なんて言ったらいいんだろう。
えーと、何か着ていて評判が良かった服とかありませんか?
いや、別に『その服すごく素敵です!』なんて言われた服じゃなくていいんです。
そんなことめったにある事じゃないですからね。
例えば、その服を着ている時は人が気軽に話し掛けてくれたとか
自分が話しかけた時に対応がスムーズだったとか、
なんとなくわかるでしょ。
え?コンビニでお弁当を温めてくれた?
それは、えーなんと言いますか、当たり前というか
まあいいです。
あなたの一番良い思い出が残っている時に着ていた服を着てください。
は?いいかげんにしてください。
あなた何歳ですか。もう40過ぎてるんでしょ?
七五三の時の思い出を引っ張り出してどうするんですか。
大体、七五三の時の服をまだ持っているなんて勘弁してください。
わかりました。
そのコンビニでお弁当を温めてもらった時の服でいいです。
それを着てください。
どんな服かは聞かないことにします。
話が進まなそうなので。
いや、馬鹿にはしてませんよ。

突然ですけど

あなた小さい頃の夢はなんでしたか?

ああ、そう。
車掌さんかぁ。
弱ったなぁ。
パン屋さんの方がまだ救いがあったなぁ。
イルカにマザコンに車掌さんじゃねえ。
救いがないでしょう。
いや、だから怒らないで下さい。
怒ったら話が前に進みませんよ。

え?弁護士?
いつですか。
ええ、大学を出てから10年間司法試験の勉強を。
ほおほお。
いいですね。
なぜやめたんですか?
ですよね。
受かってればこんな所にね。はいはい。わかります。

あの。

あなた、まだランニング着てます?
そうですか。
わかりました。じゃあ、ちょっと待ってますので、さっき言ったお気に入りの服に着替えてください。



はい。
大変お待たせさせられました。
着替えるのに30分もかかるなんてどうかしてますよ。
えーとですね。
どんな気分ですか?
そうです。今です。

よくわからない。

そうですか。まあ、わからないくらいの方がまだ救いがあります。
あなた押し入れに司法試験の勉強の残骸が残ってますか。
残ってるはずです。あなたのような人は。
ええ、参考書とか。
受かるコツとかそういうことが書いてある本が。

いやいや。何照れてるんですか。勘弁してください。
それを引っ張り出してきて下さい。
ええ、今です。
いいですよ。待ってますから。




はいはい。
二度にわたって大変お待たせさせられました。
押入れから古い本を引っ張り出すのに一時間もかかるなんてあなた一体何者なんですか?
いやいや、『普通の中年男です』なんて言わないで下さい。
大体ね、

普通ってなんです?

ああ、はい。いや答えなくていいですよ。
ちょっと言ってみたかったんです。
でも、私が言いたいのはそんなことですよ。

私はあなたに今から司法試験の勉強をしろと言っているのです。

無茶じゃないですよ。
40?
だからなんですか。
あなた今、楽しいですか。
あなたなぜ弁護士になりたかったのですか?

親に言われた?
小さい時に。

ええ、そうでしょう。
かっこいいと思ったんですよね。
モテそうだと、威張れそうだと。
いや、別にそんなモゴモゴ話さなくてもいいですよ。
正常な考えです。

では、なぜ弁護士はかっこいいと思ったんですか?

は?あのいいかげんぶっ殺しますよ。
『法廷で弱い人を助けるから』なんてあんた!
今どき、小学生だって言いませんよ。
素直になりなさい。
ええ、そうでしょう。
映画で見て、リチャードギア?ああいいですね。私も好きですよ。

誉められたかったんですよね。

いや、そうですね。ほんの少しだけ遠まわしに言い替えます。
認められたかったんですよね?
あそこの主人は弁護士だとか、ええ、はいはい、わかります。
職業欄に弁護士と。
はあいいですね。楽しそうですね。
私も書いてみたいものです。

それでですね。

なぜ認められたいのですか?

『当然だ』なんてあんた。そんなこと言ったら元も子もないじゃないですか。
少しは考えてくださいよ。
あなたね。私と話し始めてもうかれこれ3時間経ちますよ。
そのうち1時間半はあなたの着替えなどの時間ですけど。
今3分くらい真剣に『なぜ人に認められたいのか』考えたって損はないでしょう。
ええ、待ちます。





あ、はい。すみません。寝てました。
え?12時?私の時計間違ってますか?
間違ってない。そうですか。
じゃああなたは本当に7時間も『なぜ人に認められたいのか』について考え続けたのですか?
そうですか。
いや、いいです。
そうじゃありませんよ。あきれてませんよ。

はい。それで、答えは見つかりましたか?
いいですよ。あなたなりの答えで。
単刀直入に言って下さい。




いやぁ。いいなぁ。
『嬉しいから』
なんて潔い答えなんでしょう。
とても7時間も考え抜いたとは思えない素晴らしい答えです。
馬鹿に?してませんよ。
むしろ尊敬してます。
こんなにランニングが似合いそうな人がまだ地球上にいたんだって。
いやいや、馬鹿にしてませんって。
信じてくださいよ。

いいですよね。
嬉しいっていうのは。
ではあなた、考えてみてください。
何をしたら嬉しいか。

え?なんとなくわかってきた?
そうですか。
いや、いいですよ。嬉しいです。
別に『目からウロコが落ちました!』なんて言われたくてこんな事やってる訳じゃないですから。
あなたが考えるきっかけになれば私は嬉しいんです。

え?私?
何が嬉しいかなぁ。
ええ、まあそうですね。
そうは言っても、私は猫ですからね。
え?そうですよ。正真証明、猫です。
朝から晩までこんなマンションの一室に閉じ込められてる猫ですよ。
まあ生まれた場所からしてペットショップですからね。
外の世界も良く知りませんし。
はあ、そうです。テレビと本で。
あと、まあ私の飼い主は博学な人でね。
色々教えてくれたんですよ。
いい人ですよ。

私はそうですね。
電話であなたみたいな人と話すのが楽しいですよ。
あと、インターネットで日記サイトもしてますけど、これも楽しいです。

いや、あのね。あなた猫の脳ミソをよく知らないのですよ。
私ね。残念ですけど明日の朝にはあなたのこと忘れてしまいます。
いやいや、ちがいますよ。
これは、私が忘れっぽいとか、あなたがつまらない人だからという理由じゃなくて
それが猫の脳ミソの限界なんですよ。
忘れてしまうんです。細かい事は。

私はなんとなく臭いを覚えてるだけです。

そういえばあなたみたいな人がいたなぁって。おぼろげにね。

はは。
そうでしょうね。
『猫の救急箱』なんて言ってほんとに猫が出るとは思いませんよね。
よくタウンページも載せてくれたなぁって思いますよ。
ははは。いいですね。あなた今日始めて楽しそうに笑いましたよ。
それで充分です。
ええ。

ではでは。

え?はい。がんばってください。
応援してますよ。
いつか私が猫裁判にかかった時は、あなたに救ってもらいたいものです。
はい。その時のためにしっかり弁護士になってくださいね。
いやいや、弱気はいけませんよ。
そうです。その意気です。
ただね。何も食べなきゃ死んじゃいますから、食いブチだけはしっかり残しておくんですよ。

はい。ではでは。ほんとにサヨナラ。

またいつか。

はは。そうですね。私も楽しかったです。

では。ごきげんよう。

投稿者 hospital : 2004年10月21日 13:41