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2004年11月03日

泪ぶくろの恋

目の下、すなわち泪ぶくろが腫れてきた。

それを見て、まぶたは黙っていなかった。

まぶた:「お前なんでそんなにむくれてるんだ」
泪ぶくろ:「知らないわよ」
まぶた:「自分のことだろ」
泪ぶくろ:「もっと穏やかな話し方してほしいわ」
まぶた:「とにかく、まぶたと泪ぶくろが同じくらい腫れてるっていうのは困るだろ」
泪ぶくろ:「そうかしら。かわいいじゃない」
まぶた:「まあな。そうかもしれないけど、お前いいのか」
泪ぶくろ:「何がよ」
まぶた:「俺とお前の区別がつかないってことだぞ」
泪ぶくろ:「なにかいけない?」
まぶた:「俺と似てるってことだぞ」
泪ぶくろ:「いいじゃない別に」
まぶた:「そうか?なんだか嬉しいな」
泪ぶくろ:「誤解しないで。深い意味はないわ」

私のまぶたと泪ぶくろは恋仲である。
私はそれをよく知っていたし、それに関して私から彼らに口出しすることもなかった。

他の人のことはよく知らないが、まぶたと泪ぶくろが恋仲になることは多いらしい。
まばたきする度に、彼らは否応なしに密着することになるからだ。
毎日毎日、密着しつづけていたら、それなりの気持ちも芽生えてくるものなのだろう。
一度、まぶたに聞いたところ、

「くっついたと思ったらまたすぐ離れちまうところが切なくていいんだな。まばたきってのは」

と得意気に語っていた。
私はどうもそんなぶっきらぼうな言葉使いをするまぶたが好きになれない。
その辺りを泪ぶくろに尋ねたときがある。

ねえ。泪ぶくろ。アナタみたいな大人の女がどうしてあんなまぶたみたいな単細胞と付き合ってるの?
確かにね。でもね。悪くないわよ。単細胞も。
そう?なんで?
男らしいのよ。
そうかな。
そうよ。

泪ぶくろはそう言った。
しかし、泪ぶくろの口調は決して明快なものではなく、奥に何か秘めた想いがあるようだった。
私はよく知っていたのだ。
泪ぶくろが実は上唇に恋をしているということを。

上唇は私の顔の中で一番の人格者だった。
そして、上唇の方も泪ぶくろに恋をしていた。
彼らは秘めた恋をしていた。
肉体的に近づくことはなく、常に一定の距離を保ちながらお互いを意識していた。
彼らの密度の濃い関係にはさまれた鼻はそのせいか、曲がってしまっている。
私としては迷惑なのだ。

夜になると私は眠ってしまう。
当然、まぶたと泪ぶくろは密着する。
長い夜の間、彼らは密着しつづける。
私自身眠っているので、彼らが何をしているのかよく知らないが、
若い男女が夜中、密着しつづけているのだから、何もないと思う方が間違っている。

上唇が毎晩、寝ずに悩みつづけるのも無理はない。

ある日、私は下唇に頼まれた。

「悪いが、目を開けたまま寝てくれないか」

下唇が言うには、上唇が不眠症で困っているらしい。
毎晩、まぶたと泪ぶくろが抱き合っているのを意識してしまって眠れないそうだ。
そのせいで朝になると、上唇はカピカピに乾いてしまっているのだ。
下唇としては大人で冷静な上唇が、毎朝、疲れ果てているのを見るのが耐えられないと言う。
しかし、目を開けたまま眠れというのは無理な頼みだ。

「あのね。私が目を開けたままってことは、つまり、あなたたち全員、寝不足になるってことなのよ。わかる?」
「ああ」
「じゃあなんでそんな馬鹿なことを言うのよ」
「その馬鹿なことをしてくれと言っているんだ」

下唇は真剣だった。
上唇が皆から受けている信頼感を思えば当然なのかもしれない。
上唇が困っている。
今まで迷惑をかけてきた下唇としては何か手を差し伸べたいと思っているのだろう。
私は下唇の気持ちに答えることにした。

一週間、私は寝ずに生活し、まばたきも出来る限りしないことにした。

日に日に、目は真っ赤になり、泪ぶくろは重く腫れぼったくなった。

そのせいで、冒頭に書いたように泪ぶくろとまぶたの関係がおかしくなりだしたのだ。

まぶた:「なあ、最近、冷たいな」
泪ぶくろ:「そうかしら」

「とぼけるのか」
「そうね。疲れてるのかもしれない」
「俺だって疲れてる」
「・・・・」
「知ってるんだ」
「何をよ」
「お前と上唇の関係だよ」
「そうだったの」
「少しはすまなそうにしてくれ」
「あら、どうして」
「どうしてって俺とお前は・・」
「なによ」
「恋人じゃないか」
「だからなによ」
「お前は浮気をしてるんだぞ!」
「浮気じゃないわ。本気よ」
「そういうのは男が言うもんだ」
「あんたにはそんなこと言えやしないわ」
「お願いだから俺の所へ戻ってきてくれ。お前がいないと眠れないんだ」
「よく考えてみようと思うの。あなたとの関係を」
「俺との関係?」
「ええ、だってわたし達、会えばすることは一つだけ」
「ちがう!」
「ちがくないわ」

こんな調子で、まぶたと泪ぶくろの関係は悪化していった。
私が眠ってしまえば、必然的に彼らはまた体を重ねることになり、一応丸く収まってしまうのかもしれない。
そのことを見越して、泪ぶくろは私に相談してきた。

「お願いがあるの」

いつも落ち着いた泪ぶくろが私に相談を持ちかけるなんて珍しい。

「もう寝ないでほしいの」

そう言われても寝なかったら死んでしまうわ。

「それでもいいの」
私は良くないわ。
「死んでもいいの。ううん。むしろ死にたいのよ」
そんなこと言わないでよ。
「もうこれ以上、上唇さんの気持ちを裏切れない。あたし、上唇さんと一緒に死ぬわ」
あのね。あなたと上唇に死なれたら私の顔はどうなっちゃうのよ。
「ごめん」
謝られても困るわ。生きててちょうだい。
「ごめん」
お願いよ。
「ごめん」

泪ぶくろは泪ぶくろに涙をいっぱいためながら、謝りつづけた。
私はもう何も言えなくなってしまった。

しかし、その日の晩、私はうっかり眠ってしまった。
一週間の不眠のせいで死んだように深い眠りに落ちた。

次の日の朝、私の目の周りには目ヤニがたくさんついていた。
それは一週間ぶりのまぶたと泪ぶくろの激しい情事を物語っていた。

泪ぶくろは腫れぼったいままだった。
私が何か話し掛けても答えなかった。

上唇は落ち着いた顔をしていた。
なにか吹っ切れた顔をしているようにも見えた。



「老けたな」

突然、友人にそう言われた。

それは目じりのあたりにできた細かいシワのせいかもしれない。

私は鏡を覗き込んでそのシワをさすりながら
泪ぶくろに何か気の利いた言葉をかけようと思ったけれど
良い言葉が何も浮かんでこなかった。

しょうがなくポケットからリップクリームを取り出し、
カピカピに乾いた上唇に少し塗った。

乾いた晩秋の風が私の顔をなでていく。


来年で30になる。


もうしばらく、私は一人者なのかもしれない。

投稿者 hospital : 2004年11月03日 14:00