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2004年11月26日

埃の街

思いっきり息を吸い込むと、喉に埃だけが入ってきた。

目の前は3m先までしか見えない。
それより先は埃がひどくて何も見えなくなってしまった。
俺は腕まくりをして、一日中街路脇に穴を掘っていた。
新しくできたこの街は今、街のメインストリートを緑で縁取ろうとしている。
俺はその緑の木を植えるために、一日中穴を掘っていた。
給料はほとんどないに等しい。
俺には他にできることがなかったのだ。

朝起きて、真っ白い部屋の中、作業着を着る。
知らないうちにCDデッキもテレビもベッドも消えてしまった。
俺の部屋の中にあるのは床と壁と天井だけ。全てが真っ白だった。
部屋を出ると、他の作業員とすれちがう。
皆、よく笑いよく話す連中だ。
嫌な連中ではないが、3ヶ月たった今も彼らにうまくなじめないでいる。
話すスピードが早く、話題も耳の表面を通り過ぎてしまうようなものばかりだった。
問題は俺にあるのか、彼らにあるのかよくわからない。
俺は彼らのことをまだ何も知らない。

俺たちの仕事は個人作業だった。
密着して仕事をしているが、
なにしろ埃がひどくて3m先で作業する仲間の姿が見えないのだ。
だから俺たちは黙々と穴を掘ることができた。
何も考えなかったが、ただ脳ミソの奥底には漠然とした黒く透明な感覚があった。
俺を含め、一人として穴そのものに興味を持っている者はいなかった。

10個の穴の一つにかならず死体が埋まっている。
俺たちは誰からともなくそのことを聞き、知っていた。
急速に発展したこの街ではある疫病が蔓延していた。
確率的に街の住人の10人に一人がかかると言われている。
ウィルス性のものかそうでないのかそれすらもわかっていなかった。
皆、この病気にかかると1週間で言葉を忘れてしまった。
ただそれだけの病気だった。

ボケるわけでもうつ病でもなく、
言葉を失ってしまう。
彼らは言葉を忘れ、自分を表現することができなくなる。
彼らは必死で忘れてしまった言葉を思い出そうとし、
また、新たに覚えようとする。
しかし、思い出すことも新たに覚えることもできない。

更に一週間たつと、彼らは穴を掘り始める。
一日中穴を掘り続ける。
底が見えなくなり、それでも彼らは掘り続ける。
そして、深い深い穴の中で彼らは息絶える。
飢え死になのか、窒息死なのかわからない。
とにかく彼らは穴を掘り、地面の奥底へもぐって行く。

彼らは必ず街路脇に穴を掘った。
人里離れた山奥ではなく、街路脇に穴を掘った。
だから俺たちの掘る浅い穴の隣には、
10に一つの割合で、底の見えない真っ黒な穴が開いていることになるのだ。
それはほぼ規則正しく、10個に一つだった。

今、俺がこうして穴を掘っている最中にも
隣で深い深い穴を掘っている人間がいるかもしれない。
しかし、それら全てを埃が覆ってしまっていた。
俺の3m先で穴を掘っているのが見慣れた作業員なのか
それとも見知らぬ病人なのかわからない。


突然、全ての埃が消え、街のメインストリートが見渡せる時がある。

それは、一ヶ月にたった一度
水不足のこの街がスプリンクラーで街路樹に水を与えるたった10分間だけだ。
その時だけ、全ての埃は消え、まっすぐで幅50mもあるメインストリートが遠くまで見渡せるようになる。

埃が消えると、
メインストリートのふちにはびっしりと、作業員の姿が見える。
皆その時だけは作業をやめ、まっすぐに伸びるメインストリートの果てを見渡す。
額の汗をぬぐい、タバコを吸うものもいる。
空は薄い水色で明るかった。

皆、ベージュの作業着を着ている。
そのせいで俺たちは普段、埃の中で余計に姿を隠してしまっているのだが
スプリンクラーで水がまかれるこの日だけは、このベージュの作業着が
何色にも染まることのできる素直で可愛らしいものに思えた。

そして、同時に俺たちは、10人の中の一人が病気の人間であることに気づいてた。
10に一つの間隔で、作業員のいない、ただ遠めでも深いとわかる穴の輪郭が見えるのだ。
その中では、今も彼らが穴を掘り続けている。

振り返ると、
3m後ろ、更に3m後ろ、その更に3m後ろ、果てしなく3mの間隔を持って
無表情な目をメインストリートの果てに向ける作業員達が並んでいた。
皆、例外なくそうだった。
振り返る俺に目をやるものはいなかった。

約50m幅の道路の向こう岸に、赤い服を着た作業員が見えた。
全てが淡く薄い色をしたこの場所を、その鮮やかな赤が突き刺していた。
体は細く、髪は長かったが、それは男に見えた。

彼は一人で穴を掘り続けていた。
そのほかの全ての人間が虚ろにただ遠い一点を見つめる中、彼だけ下を向いて穴を掘り続けていた。
その一点の赤い色を俺は見つめ続けた。

彼が目を上げたように見えた。
確かに彼も俺を見ていた。
俺達はしばらくそのまま見つめあった。

次の瞬間、スプリンクラーが止まった。
じわじわとまた黄ばんだ埃が辺りを包み始めた。
そして、彼の姿もだんだんと消えていった。
完全に消えて見えなくなってしまうまで、彼のことを見つめ続けた。

何か、心の中で明るい気持ちでも、暗い気持ちでもどちらでもいいから
気持ちが動いて欲しかった。
嬉しい、悲しい、虚しい、楽しい、優しい、暖かい、冷たい、
どんな感情も俺の心の中には起こらなかった。

10分前と同じように埃で包まれたこの場所のように
俺の頭の中にも漠然としたもやがかかってしまった。

俺はまた黙々と穴を掘り始めた。
ただただ穴を掘り続けた。
ふと、頭の中にはっきりした言葉が浮かんできた。
それは本当に久しぶりな気した。
輪郭を持った多少なりとも強さを持った久しぶりの言葉だった。

『虹が見たい』

辺りに水が撒き散らされたその瞬間、
皆が空ろに見つめたメインストリートの向こう側に
もしも、虹がかかっていたらどんなにキレイだっただろう。

それだけで全てが変わっていたかもしれない。

俺は作業を続けた。
穴を見つめ、ただただ掘り続けた。

その日、作業が終わり眠りにつくまで、その言葉が俺の頭を離れることはなかった。

次の日の朝、目が覚めると、真っ白だった部屋が少し活気付いていた。
なくなったはずのテレビがテレビ台の上にあった。
なくなったはずのベッドの上にいることに気づいた。
地味な色だけどシーツもかけてあり、枕にカバーもしてあった。
新聞受けには朝刊がはさまっていた。

埃は消えていた。
街へ出ると、メインストリートを鮮やかな緑が縁取っていた。

もう作業員の姿も、赤い服を着た男の姿も見えなかった。
昨日までたくさんいた作業員の姿が消え、メインストリート脇の細い歩道を
家族や、カップルや、若い男や若い女や、貧乏な男が歩いていた。
物売りが意味のわからない言葉で叫んでいた。

俺はすっきりとしたからっぽの頭で大きく手を振り、
彼らの中に混じって、3mほどの細い歩道を歩き始めた。

遠くに本屋が見えた。
大きくて近代的な洒落た本屋だった。
遠くからでもその屋根が見えた。
そこへ行った後、なにか食べるものを買ってまた部屋へ帰ろう。
そんな意味のない計画を立てるのが楽しかった。

空っぽの頭の中で、カランと可愛らしく屈託のない音が鳴っている気がした。

投稿者 hospital : 2004年11月26日 23:34