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2005年05月11日

海の近くの道路の上で

血の気が失せちまったんだ。
目の前が真っ暗になって、持っていたバスのチケットは汗でビショビショになった。
どうも記憶が定かじゃないんだ。
俺は確かバスに乗ってた。

彼女は俺に会いたいって言ってた。
ホントかどうか知らないけどね。
オレは真に受けたんだよ。
それでバスに飛び乗った。
それだけだったかどうか。
もっと他に理由があった気がするんだけど。
どうも記憶が定かじゃないんだ。
周りで血だらけになって転がってる連中を見ると、どうもこのバスは事故にあったらしい。
運悪くオレはこんなバスに乗り合わせちまった。
そうそう。CDウォークマンで音楽を聴いてたんだ。
アメリカの古い音楽さ。
ヘッドホーンはどこかにいっちまったけど、かすかに音が聞こえてくるんだ。
なんだっけな。この音楽。
確か大好きだったはずなんだけど。

嫌になっちまった。
思い出す必要なんてない気がしてきたんだ。
オレは夕飯のことなんて考え始めた。
夕飯まで生きていられるかどうかもわからないのに。
このバス、どこでこんな事故にあっちまったのかな。
周りには道路と海しか見えない。
どうやらとんでもない所で事故にあっちまったらしい。
毎朝見てる、たぶんあの埋立地の何にもないまっすぐな道路だ。
こんな所からどうやって帰ればいいんだ。
オレはバッグの中に手を突っ込む。
なんか食べるものでも探してたのかもしれない。
何にもない。
財布。ティッシュ。CDウォークマン。あと本が一冊入ってた。
あと、グチャグチャになった手紙が入ってた。
そうだった。
この手紙のせいだ。
オレがこんな夜遅く、バスに乗って彼女に会いに行く羽目になったのは。
そうそう。
彼女はどうも悩んでたらしいんだ。
悩むのが好きなんだろうか?ってこっちが悩んじまうほど、彼女は年中悩んでるんだな。
今回はどんな悩みだったか。
この手紙に書いてあったんだ。
珍しくオレも真に受けちまった。
それだけ真面目な悩みだったのかもしれない。
オレは一行目だけ読んでみる事にしたんだ。

「私間違ってたみたい」

正直言って参ったね。
どうしてって、毎回彼女の手紙の最初の一言がこの言葉だったってことを思い出したからさ。
次はたぶん
「もう何も思い出せない」
なんて書いてあるはずなんだ。
オレは二行目を読んでみた。

「もう何も思い出せません」

なぜか敬語になってたけど同じようなものさ。
どういうわけか彼女の手紙はたまに敬語が混ざってるんだ。
3行目を読んでみた。

「私は自然に生きようと思ってたのに」

そうなんだ。彼女はいつもこんなことばっかり言ってる。
最初のうちはこんな話にもマトモに付き合っていたけど、最近じゃ軽く受け流すようになってた。

「綺麗な服を着て、長いものに巻かれて、そう、今日だって美容院に行ってきた所なのに」

四行目にはそう書いてあった。
「長いものに巻かれて」なんて彼女はめったに口にしなかったから
オレは目を留めたんだな。
きっと最初に読んだ時もそうだったんだろうな。
もう覚えてないんだけどさ。
オレは続きを読んだ。

「だけどね、帰り道で急に嫌になっちゃったの。帰りの電車で」

どうもいつもよりは真面目に書いてあるみたいだった。

「満員電車でもないのに痴漢がいたの。目の前に。髪が目の辺りまでかかってて整髪料をベタベタ頭につけてて」

オレはここで少し休むことにした。
何しろ、俺の頭からも血が流れ出していたから、もう意識はわずかなんだ。
深呼吸をした。
そしたら運悪く目の前を飛んでた蚊が喉の中に入ってきたんだな。
こんな時、変な力が出るもんなんだ。
手紙を読む力もないくせに、精一杯セキをして蚊を吐き出した。
目の前にいるたぶんもう息もしてないおっさんの頭にオレの唾液が飛んだんだ。
オレはもう一度手紙を眺めた。
どこまで読んだか、オレは最後の方を読むことにした。
たぶん、マトモに読んでたら最後までたどり着けない気がしたから。

「だから決めたの私は。もうあなたに本当のことしか言わない」

彼女はいつもこんなことばかり言ってるんだ。
本当のこととか、心を込めてとか。
嫌いじゃないけど、何回も聞いてると良くわからなくなってくる。

「私は今日あなたに会いたくない。
会いたいのかもしれないけど会いたくない」

そう。こんなことが書いてあった。
こんな時は何も言わず彼女の所へ行ったほうがいい。
反射的にそう思ったのかもしれない。
彼女はこういう時、放っておくと永久に連絡してこなくなるんだ。

「私は今、さっき痴漢からもらったパンを食べてるの」

彼女の話はいつだって急に飛ぶんだ。
どうやらさっきの痴漢と何かあったらしい。
彼女はおかしいんだ。
痴漢と意気投合することだって有り得る。

「変なパンなのよ。味も見た目もメロンパンなのに、袋にはスイカパンって書いてあるの」

オレはまた意識が遠くなってきた。
どうやらオレはいつもの彼女の気まぐれに付き合って、嫌々このバスに乗ったらしい。
オレは嫌になって手紙をそのまま床に落とした。
遠くの方で携帯電話が鳴ってたんだ。
30人以上も乗ってたバスだからね、誰の携帯かわかったもんじゃない。
だけど、よく知ってる着信音なんだ。
すぐに思い出したね。
それは彼女の着信音だったんだ。
嫌な予感がしてもう一回手紙を拾い上げて続きを読んでみたんだ。
最後の方にやっぱりこんなことが書いてあった。

「だから、この手紙を読んだら、あのバスに乗ってね。10時30分にあのホテルの前から出てるバスに。私も乗るから」

だんだん思い出してきた。

「私ね、あなたに始めて会ったあのバスでもう一回あなたに会ってみたいの」

「私一番前に座ってるから。あなた真ん中辺に乗ってね。それであのデパートの前で降りてね。その時声かけてね」

そこで手紙は終わってた。
オレはもう力なんて残ってなかったし、どっちが前なのかはっきりわからなかったけど
バスの前の方へ必死で這いつくばっていったんだ。
一番前の座席はペシャンコになってた。
だけど、彼女のバッグがそこからはみ出てたからすぐにわかった。
オレは手紙のさっき読まなかった部分を読んでみたんだ。

「それでね、この変なスイカパンを食べてたらなんだか涙が出てきたの」

「私あなたのことが好きなのよ」

そう。彼女はたまにそんなことを言うんだ。
本当にたまにだけど。
覚えているだけでも3回くらいしかないんだ。
もう5年も一緒にいるのにたった3回なんだ。

オレはペチャンコになった座席に必死で肩を挟み込んでこじ開けようとした。
彼女の顔を見たかったんだ。
だけど、座席はピクリとも動かなかった。
もうそこで力尽きちゃったんだ。
だからオレは彼女の座席の間からはみ出た右手からバッグを取って、
その手を握り締めたんだ。
なんだか嬉しかったんだよ。
もうこの先何にもないってわかってるのにさ。
ここで終わっちまうってはっきりわかってるのに嬉しかったんだな。

それから俺たち一緒に冷たくなっていった。
冷たいバスの床と同じくらいの温度になるまで、オレは彼女のこと心の中で呼んでたんだ。
割れた窓の隙間から海の匂いがしたんだ。
良い匂いだった。
きっと人は死んだら海に帰るんだ。なんて
海の近くで育ったわけじゃないのにそんなこと思ったんだよ。
それでもう少し長く生きたかったって思った。
彼女もそう思ったかな。
きっとそう思ったと思うんだ。
俺たちいつも、最後には決まって同じこと考えてるんだから。

そうだったらいいなって最後に強く思ったんだ。

投稿者 hospital : 2005年05月11日 02:30