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2005年07月30日

君が溢れてる

彼女の事は好きだけど、付き合って行く事は厄介を伴う。

癲癇みたいなものなのか。
なんの予告も無く彼女はとろけだす。
汗をかくように、白い彼女は輪郭をぼやけさせ、その時僕はいつも困惑する。

部屋で二人でいる時にとろけだすなら安心で、すぐに彼女を抱きかかえてバスルームに駆け込む。
「ごめんね。ほんとごめん」
と謝る彼女。

僕と付き合う以前には、一体誰がこんな彼女を介抱したのか。
放っておくときっと彼女は流れ出してしまって、いなくなってしまうだろう。

栓をはめて、バスタブに彼女を満たしてあげる。
満たされた彼女はしばらくずっとそのままで、液体の彼女に手を浸すとほんのりと温かい。
その温かさが、僕に対する感謝だったり愛だったりするのだろうかと、ぼけっとしながら液体を見つめ続ける。

彼女と付き合い始めたのは2年前くらいで、過去の話は互いにあまりしゃべらない。
どうやら彼女は一人のようで、家族や近親者の影は見えない。

いつも街を一緒に歩く時には必ずポリ袋のようなものを僕が持っていて、いつ彼女がとろけだしてもいいようにしてあげる。
こんな恋人をもったということで、僕の習慣は少し特殊なものになった。

緊張感はいつものことで、だってふとした瞬間に彼女は輪郭をぼやけさせているのだから。

会話してる時にふと彼女が黙るから、心配になってみやると、「大丈夫だよ」と微笑み返す。
その時のからかったような表情はとても白くて可愛い。
いつも僕が心配していることをからかいながらも感謝しているのを知る。

ベンチに座って休日の昼下がりの平和な景色を眺めていると、隣で知らぬ間にとろけている場合には、僕はすぐに小さく畳んであるポリ袋を取り出して、彼女をそこに流し込む。
平和な景色が一転して、僕はおろおろと作業をするのだ。
いたたまれない。
とろけているのなら、なにか言ってくれればいいのに。
そんな願いも空しく、彼女は黙ってポリ袋に満たされる。

普段ならすぐに元通りにもどるのに、たまになかなか戻らなくて心配になることがある。
そんな時は大き目のバッグに彼女を入れて、たぽんたぽんと音をさせながら僕は電車に乗ったりする。
背中で振動する彼女は重くて、その苦労が切ない。
はやく戻ってくれないかと願う僕をせせら笑っているような振動が憎い。
満員電車で椅子に座り、彼女を自分の前に置くと、とても迷惑そうにほかの乗客が僕のほうをみるのだけど、なんとか理解してもらいたいといつもながらに切なくなる。
長くても3日くらいで元通りに戻ってくれて「おかえり」「ただいま。ごめんね」と久しぶりの再会を二人で喜ぶ。

彼女が液体の日の夜には、必ずポリ袋からバスタブに彼女をうつしかえて、彼女に手を浸しながら、僕は色々なことを考えたりする。
その時間は今や僕にとってなくてはならなくなっている。

素敵な彼女。
物思いに耽る僕。

手に彼女をすくって「しゃべれる?」と尋ねて、答がないと僕は「ははは」と一人笑う。
「変な人だな」
バスタブに満たされている液体に、僕はうつろに一人ごと。

一人でいるとき、一体彼女はどうしているのか。
僕と二人でいるときは僕がいるから安心だけど、一人でいるときこんな彼女の性質を的確に理解してあげて、それで不気味がらずに介抱してあげる人なんて、僕以外にいるはずがないのだから。
けれど、一週間くらい会わない日とかもあるけれど、きまってへっちゃらな顔して僕の前に現れる。

僕がいなくてもひょっとしたら生きていけるの?

そんなふうに尋ねた事もあるけれど、にこにこしながら笑うだけで、返事らしきものは訊かせてくれない。
本当に可愛い。
彼女にとっては僕が必要だと思っているのは、もしかしたら僕だけなのかもしれないと考える事はすごく寂しいことである。


別れは突然にやってくる。
どうした気の緩みなのか、たまたま僕はその日ポリ袋を用意していなかった。
晴れた日曜日に、僕らは二人で電車に乗って、行くあてもなく旅行した。
手をつないで、きっとこの幸せは永遠のものなんだって安心しながら、二人で色々めぐり歩いた。
いつも彼女は可愛いけれど、その日は特に可愛くて、なぜか何度も彼女の顔をみてしまう。
幸せなのは僕だけじゃないかって、心配で彼女の表情を点検するのだ。
「なに?」
不思議そうな顔をして僕を見返す。


日が暮れだして、夕日に照らし出された見知らぬ街の歩道で、僕はずぶ濡れのリュックを背負いながら、ぼろぼろ泣きながら歩いていた。
彼女が突然とろけだして、僕は用意をしていなかったから、慌てて彼女をリュックに流し込んだ。
だめだよ、布の隙間から、彼女がじわりじわりとあふれ出すのを、どん底に落とされた気分で、一生懸命に流れ出してしまわないように頑張ったけど、そんな努力は空しくて、僕の指の間から彼女は溢れだして、土の歩道にぽたぽたぽたぽた落ちてゆく。
泣きながら、ごめんごめん、と僕は言うけど、彼女は変わらずほんのりと温かくて、僕の間違いをやさしく許してくれているようだった。

彼女以外になにも入っていない、びしょぬれのリュックサックを、悲しく背負いながら、僕はずっと泣いていた。
諦めて、顔を泣きはらして、電車に乗って家に帰る途中、他の乗客はずぶ濡れの僕を迷惑そうに、ささと場所を空ける。
人目憚らず僕は泣きっ面で、「ごめんごめん」と繰り返す。
不気味そうな顔をして乗客は僕を見ている。

家までの道程がとても長く感じられた。
車窓の景色はもう暗くて、月明かりに照らされた街並みが流れてゆく。

僕はいつのまにか彼女を失ってしまったことを知る。
地面に彼女は吸収されてしまった。
リュックサックも、もう乾き始めている。

いつ涙は枯れるのか、もう永遠に彼女には会えないだろうという決定的な気持ちから、僕は未だに抜け出せないでいるのだ。
僕がいなければよかったのかな。
本当にごめんね。
本当にごめんね。

投稿者 hospital : 2005年07月30日 12:22