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2013年07月09日

夢のある生活 (※お蔵出し)

俺がまだ若く今よりもずっと純粋で世間知らずだった頃の話だ。
あの頃俺は夢を持っていた。
とても大きな夢だった。
とてもとても大きな夢だった。

あまりに大きすぎるので箪笥や押入れに収納することができず、いつも部屋の隅に横たえていた。

俺は夢とともに眠り、食事をし、本を読み、マスターベーションに耽った。


もともとの夢は小さかった。

大福餅くらいの大きさで、机の引き出しに充分収まる程度だった。

その頃の俺はきちんと大学にも行き、友人の誰もが遊び呆けるなか糞真面目に予習復習なんてことまでしていた。

そして週に何度か思い出しように机の引き出しを開けては、夢を眺めてみるのだった。


夏休みを実家で過ごし、新学期前に東京のアパートに戻って驚いた。

いつのまにか大きく膨んだ夢が、机を破壊し、引き出しから転げ落ち、畳の上に居座っていたからだ。


その後も夢は膨らみ続けた。
そして、ついには布団ほどの大きさになった頃、俺は夢を抱いて眠るようになった。

夢はすべすべとして柔らかく、とても気持ちが良かった。
夢をじっと抱いていると、なぜかきまって幸福な気持ちになった。

それで、学校の授業のない週末は一日中夢を抱いていたりもした。


そうこうするうちに、夢はさらに膨らみ、気がつけば、俺の部屋全体を夢が占めるようになっていた。

家具を一切合財捨ててはみたが、その分だけ夢は膨らんだ。

夢が膨らむ度に木造モルタルのオンボロアパートがミシミシと悲鳴をあげだしたとき、俺は引越しをすることにした。
頑丈な鉄筋コンクリートのマンションにだ。
部屋の広さは三倍ほどになり、家賃もまた三倍になった。
それまでのように親からの仕送りだけでは家賃を払うことはできぬので、俺はバイトを始めることにした。
大学に行き、バイトをし、家では夢とたわむれる日々。
その頃はまだ、俺と夢とのそんな生活を両親や友人達は微笑ましく眺め、応援さえしてくれた。
 
夢が部屋からはみ出し、キッチンまでにおよんだとき、俺はさらに広い場所へと引っ越すことにした。
引越しの金を稼ぐためにバイトを幾つも掛け持ちし、学校にも行かずにバイトに明け暮れた。
そして、なんとか夢が部屋から出られないほどの大きさになる前に引越を済ますことができた。
郊外にある元々は米兵専用だったたというやけにだだっ広い一軒家。
このまま夢が膨らみ続けても当分は引越しの必要はないだろうと思った。
 
それからも高い家賃を払うためにバイトに精を出した。
昼は肉体労働、夜は水商売のボーイ。
食費も削り、随分と痩せた。
俺の苦労を尻目に、のうのうと大きくなり続ける夢に腹が立つこともあったが、捨てようとは思わなかった。
夢に埋もれて暮らす生活は最高に幸せだった。
夢のない生活など考えられないと思った。
夢さえあれば、何も怖いものなどないと思った。
夢以外、なにもかも無駄なことに思えた。

それで結局、四年生の途中で大学を辞めてしまった。
田舎の両親はひどく怒った。
その頃には友人との付き合いもなくなっていた。
夢はまだゆっくりと膨らみ続けていた。
 
二年が過ぎたある日、電車の中ですっかり連絡が途絶えていた学生時代の友人Kがいるのに気がついた。
くたびれたスーツを着て、青白い顔をして、窓の外をぼんやり眺め、しきりにため息をつくKがいた。
ずいぶん不健康そうになっちまったなと思った。
声をかけると、Kは俺を見てひどく驚き、何があったのかと尋ねた。
K以上に俺はやつれていたようだ。
でっかい夢と生活してるんで家賃が大変なんだ、と俺がいうと、
まだ夢と暮らしていたのか、とKは驚いていた。
その口調はどこか俺にあきれているようでもあった。
Kがおごるというので、俺たちは電車を降り、居酒屋に寄った。
Kは会社の愚痴を延々と話し、俺は濃い焼酎のお湯割を飲みながら、黙ってそれを聞いた。
愚痴を終えるやいなや、Kは俺を羨ましいと言った。
会社員になどなるもんじゃないと言った。
じゃあ、とっとと会社なんか辞めちまえばいいと俺は言った。
すると、すっかり酔いがまわったKは、声を荒げて、今度は俺を馬鹿だと罵った。
いつまでもぶらぶらしてるんじゃない、将来どうする気だ、と俺に説教を始めた。
就職しろ、はやく大人になれ、とも言った。
就職したのでは夢の維持費が満足に稼げぬし、夢と過ごす時間も減ってしまうのではないかと俺が言うと、
夢なんか捨てちまえよ、とKは吐き捨てるように言った。
夢のない生活なんてまっぴらごめんだ。
あんまりKのやつがうるさく言うので、持っていたグラスをKに投げつけてから店を後にした。
 
そのころ俺は恋をしていた。
相手は俺のバイト先であるクラブのホステスだ。
女は俺の夢にとても興味を持っていた。
ある夜、女が俺の夢を見たいというので、喜んで部屋へと招待した。
女は俺の夢のことをとても誉めた。
気を良くした俺は、女に特別に俺の夢に埋もれることを許可した。
女は俺の夢にくるまり、うっとりとした表情をみせた。
それが俺にはとても艶っぽくみえた。
たまらず俺も夢の中へ飛び込み、女の隣にもぐりこんだ。
俺は女に夢の素晴らしさを熱く語り、女も熱心に俺の話を聞き入った。
それから俺と女はキスをして、朝までに四度愛し合った。
 
以来、女は俺の部屋で暮らし始めた。
女が高給とりなおかげで、俺はずいぶんと生活が楽になった。
女は従順で、俺の言うことをよくきいた。
俺が女にもっと金を稼ぐことを要求すると、女は水商売から風俗へ職をかえた。
おかげで俺はバイトをする必要がなくなった。
何もすることがないので、朝から夢を抱いて毎日を過ごした。
夜に女が仕事から帰ってくれば、今度は女を抱いた。
 
そんな生活が一年ほど続き、夢も一年分膨らんだある日、女が妊娠したと俺に告げた。
だからもう夢を捨てて欲しいと女は言った。
なぜだ、おまえも俺の夢を好いていたではないか、と俺は反論したが、女は譲らなかった。
このまま夢と暮らし続けるのであれば、金銭的に子供を育てるのは無理だと女は主張した。
子供ごときで大切な俺の夢を捨てろとはなんてことだ。
俺は頭にきて、女を罵り、殴り、蹴り、それから中絶をするよう命じた。
女は泣きながら家を出て行った。
 
それからも俺は毎日夢を抱いて過ごした。
働く気も起きず、金がなくなれば金貸しから借りた。
その金を家賃にあて、残りは酒に費やした。
そのころ夢は、もう膨らむの止めていた。
膨らみ続けるのは、借金だけだった。
 
今でもよく憶えている。
12月の雨の日だ。
昼頃目を覚まし、酒を買いに行くために靴を履いて玄関のドアを開けると、そこに段ボール箱がひとつ転がっていた。
中身は、出て行った女からの手紙と、ぎゃあぎゃあと泣き叫ぶ赤ん坊だった。
手紙には赤ん坊が俺の息子であることと、女からの完全なる決別の言葉が書き記されていた。
俺はひどく混乱したまま震える手で赤ん坊を抱き上げた。
とてもやわらかくいい匂いがした。
その顔を覗き込むと、赤ん坊は俺を見てきゃっきゃと笑った。
心の底に深くゆっくりと感動が広がった。
それはたぶん今までで一番の幸福感だった。
夢なんかよりずっといいものをみつけた気がした。
 
その夜、ついに俺は夢を捨てることを決心した。
のこぎりで夢を少しずつ切り取り、鞄いっぱいに夢を詰め込んで、近くの川へ捨てた。
夢はあまりに大きすぎて、何度も何度も往復しなければならなかった。

ようやく全てを捨て終え、部屋に戻った俺は、捨ててしまった夢について感傷的な気分に浸っていた。
これからからはもう夢のない生活が始まるのか、と、だだっぴろい部屋の真ん中で少し涙を流した。
そのとき、ふと、俺の足元にまだ夢がひとかけら落ちているのに気がついた。
これくらい小さいなら持っていても支障はなかろう、記念に少し残しておこう。
そう思ったが、傍らで寝息をたてる赤ん坊の顔を見ると、やはり捨てるべきだなと思った。
 
俺はゴミ袋を用意し、その夢の欠片を摘み上げようとした。
ところが、夢の欠片はカサコソと逃げ回り始めるではないか。
俺は床に這いつくばり、ゴキブリみたいにすばしっこく逃げまどう夢の欠片をドタバタと追いかけた。
その音に赤ん坊が目を覚まし、俺を見て笑い声をたてた。
幸せな気持ちになった。
やはり夢などもう必要ではないのだ。
ようやく夢の欠片を隅に追いやり、えーい観念しろ、と掴みかかった
すると、夢の欠片はひらりと俺の手のひらをすり抜け、クローゼットの隙間へと逃げ込んでしまった。
やれやれ、往生際の悪い夢だ。
さあ、出て来い、捕まえてやる。
勢いよく俺はクローゼットを開けた。
その瞬間、中から大量の現実が溢れ出した。
たまらずかがみこんだ俺の背に、無情にも、現実は、重く重くのしかかってくるのであった。
 
あれから俺は、背中に重くへばりついた現実にもがき苦しみながらも、なんとか生きてきた。
赤ん坊だった息子もずいぶん大きくなって、今はもう大学生だ。
あのころのかわいさはどこへやら、顎鬚なんかはやして、随分むさくるしい男になっちまった。
そして今日俺は、そんな息子の部屋に、バスケットボールほどの大きさの夢が転がっているのを発見した。
息子が帰宅する前に、俺はそいつを捨ててしまおうと思った。
夢との生活の代償がどんなに辛いものか俺は身をもって知っている。
同じ苦労を息子にはかけたくない。

しかし、俺には息子の夢を捨てることは出来なかった。
甘やかすとか、かわいい子には旅をさせろとか、そういうんじゃない。
ただ、息子の夢が、若い頃の俺が持っていた夢と違って、岩みたいに硬く、重く、1ミリたりとも動きやしなかったんだ。
仕方ない、俺も息子の夢につきあってやろう。
そう思いながら、冷えたビールとグラスを二つ用意して、息子の帰りを待っているところだ。


(※2002年10月に書いたものです)

投稿者 hospital : 2013年07月09日 00:37