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2013年07月10日

俺は猫 (*お蔵出し)

俺は猫。名前はもうない。


もうないってのは昔は名前があったってことだ。

人間と一緒に暮らしてた頃は俺にも名前があった。

でもいまはない。

なぜなら今の俺はただの野良猫。
寝ても起きても一匹。

誰かに声をかけられることもなければ
誰かに声をかけてもらう必要もない。

だから名前なんていらなくなった。

そしていつしか忘れちまった。

それだけのことさ。




海に行ったんだ。
潮の香りがかぎたくて。

耳をつんざく波の音は魚屋の客寄せみたいに騒々しく、

ヒゲを揺らす風は港を闊歩する漁師たちのように乱暴で、

肉球の下のコンクリートは冷蔵庫から出てきたばかりのカマボコみたいに冷たかった。




メス猫がいたんだ。

海をみていた。俺と同じように寒さに身をすくめながら。
その顔は険しく、
海面を睨みつけるビー玉みたいな瞳はどこか悲しげであった。


そんな様子にピンときたんだ。

あの女、身投げするつもりだな、って。

背後から近寄り声をかけた。



「よお。死ぬなら海はやめときな。死んで魚のエサになるなんざあ、同じ猫として情けなくって涙がでちまう」

女は驚きながらも冷静な調子でこう言った。

「あなた誰よ」

「通りすがりの野良猫さ。とにかく死ぬのはやめるんだ」

「ふん。あなたには関係ないでしょ」

「ごもっとも。てめえの命だ。生きるも死ぬもてめえの勝手だ。だがな、俺の目の前で死なれたんじゃ気分が悪い。それだけのことさ」

「ふん。なによ、かっこつけちゃって」

「さあ、いいからこっちにくるんだ」
俺は女の前足を掴みぐっと自分のほうへ引き寄せた。

「きゃっ」
小さな悲鳴と同時に女は地面に倒れこみ、そしてそのまま眠りについちまった。

「よお、おい、起きろよ、こんなとこで寝たんじゃ波にさらわれちまうぞ」

女はピンク色の鼻をひくつかせ、すーすーと寝息をたてながらすっかり夢の中だ。

やれやれ。とかく猫ってのはいつでもどこでも寝やがるから厄介だ。

仕方なく俺は女を抱えあげ自分の寝床へと連れて行った。

女が目を覚ましたら家に帰そうと待ってはいたが、
やっこさん相当眠かったらしく、夜になっても起きる気配がない。
いい加減に俺も瞼が重たくなってきた。
それで結局、とっておきのまたたびを少し齧ってから俺もまた寝てしまった。




翌朝。
先に起きた女が俺の背中をゆすって尋ねた。

「ねえ、ここどこよ」

「俺の家さ」

「ずいぶん汚いのね」

「ふん。ほっとけ」

「ねえ、あなた、名前なんていうのよ」

「名前なんかねえ」

「どうして?じゃあ、みんなあなたのことなんて呼ぶの?」

「誰も俺のことなんて呼びやしない。野良猫の俺に用があるやつなんていない」

「ふーん。ねえ、あたしの名前は チャコよ。茶色の模様なんてひとつもないのにチャコなんておかしいでしょ。あのね、飼い主のタミちゃんがサザンのファンなの。だからチャコ。チャコの海岸物語のチャコよ。サザンの歌だったらさ、エリーのほうがいいと思うかもしれないけど、あたしは好きよ、チャコ。」

「ふん。やっぱりあんた飼い猫なんだな。そうだと思ったよ」

「そうよ、あたしは飼い猫。世間知らずで苦労知らずの飼い猫よ」

「その飼い猫さんがなんだって死のうなんて思うんだい」

「あのね、恋人と暮らし始めたの よ。ちがうの、あたしじゃないわ。飼い主のタミちゃん。その恋人っのがやな男でさ。あたしのこと嫌いなのよ。ううん、あたしだけじゃないわ。この世の全て の猫が嫌いなの。タミちゃんの前じゃ猫は大好きなんて言ってあたしのこと撫でたりするくせにさ、タミちゃんがいなくなったとたんあたしを蹴ったりつねった り。ひどいやつなのよ。猫かぶりもいいところだわ。猫のあたしに言われちゃおしまいね。うふふふ」

「なるほどね。それであんたは家を出たんだな」

「そうよ。それで家を出た。そして 気がついたわ。ぬくぬくと飼い猫として暮らしてきた私にとって外の世界は辛すぎる。どうやって食べ物をみつけたらいいかわからないし、それにひどく寒い。 ねえ、あたしもう二日も何も食べてなのよ。お腹が空いてたまんないわ。だからもう死んだほうがましただと思うの」

「そりゃまたたいそうな理由なこって」

「ねえ、あんた人間に飼われたことはないの?生まれてからずっと野良猫?」

「いや。昔は飼い猫だった」

「なぜいまは野良猫なの?どうして家を出たの?」

「まったくうるせえなあ。なんだっていいだろそんなの」

「お願い。教えてよ。あたし真剣にきいてるのよ」

「わかったよ。それを聞いたら少しは静かにしてくれるかい」

「うん」

「つまらねえ理由さ。その家にはガ キがいたんだ。俺のことをひどくかわいがってた。毎晩一緒に寝てたんだ。でもな、ある日そのガキ、縁日でヒヨコを買ってきたんだな。ヒヨコだぜ。猫のいる家 にヒヨコだぜ。そんなの食べてくださいって言ってるようなもんだろ。ああ、もちろん食べたよ。ガキが寝付くやいなやすぐに食ってやった。でな、翌日家のや つら全員がえらい剣幕で怒るんだ。前日まで俺のことかわいいかわいいって言ってたのに、バカだとアホだの罵りやがって。ガキなんてさ、その日以来もう俺の ことなんて触ろうともしねえし目が合っただけで舌打ちしやがる。完全に嫌われちまったんだ。で、ここにいたんじゃ居心地が悪くてたまらねえってんで家 を出た。まあ、それよりもなによりも、食べたヒヨコがべらぼうにうまかったってのもあるな。外の世界じゃこんなにうまいものがうろうろしてると思ったらい てもたってもいられなくてさ、家を飛び出したってわけ。それだけのことさ」

「それで、今は後悔してない?」

「正直後悔してる。人間の家で暮らすのが一番さ。食いっぱぐれることはない、夏も冬も快適にすごせる、にゃんだのうにゃんだの言って足に擦り寄りさえすれば何だってしてくれるんだ。天国だよ。」

「そっか・・・」

「なあ、死ぬなんて馬鹿なことはやめてそのタミちゃんってえご主人様のとこに戻りな」

「嫌よ。タミちゃんは好きよ。でもあの恋人のヨシヒロってのには我慢がならないわ」

「そうかい。勝手にしろよ」

「ねえ、ところであたしとってもお腹が空いてるの」

「しったこっちゃねえぜ」

「あたしこのまま飢え死にするんだわ」

「だったら丁度いいじゃねえか。あんた死にたいんだろ」

「ふん。なによ」

「よお、そろそろ出てってくんねえかな。ここは俺のうちだ。あんたがいたんじゃどうも調子が狂っちまう」

「・・・」

「さあ帰った帰った。俺はもう少し眠りたいんだ」

「ねえ」

「なんだ」

「あんたの名前さ、あたしがつけてあげる」

「よせよ。野良猫に名前なんて必要ねえぜ」

「今日からあんたの名前はヨシヒロよ。あいつと同じ。嫌なやつ」

「へへ。そりゃ光栄なことで」

「じゃあね、ヨシヒロ」

「あばよ、チャコ」

「・・・ねえ」

「なんでえ、まだなんかあるのかい」

「さっきからさ、体中がすっごく痒いんだけど。なにかしらこれ」

「ノミだな。俺のがうつったんだよきっと。俺からのとっておきの餞別だ。礼はいらねえぜ、くくく」

「あんたって最低ね!ほんとヨシヒロだわ!最高にヨシヒロよ!」


後ろ足で首元を掻きむしりながら怒る女の姿がやけに滑稽で俺は吹きだしちまった。

「ちょっとお、笑ってないでなんとかしてよ」
なんて言いながら女もまたけらけらと笑い出し
いつのまにか俺たちは二匹とも大きな声をあげて笑い転げていた。

なんだか久しぶりに笑った気がした。


その後俺たちはいくつかくだらないおしゃべりをしてから家を出て裏の山田さんちの生ゴミを漁りちょいと遅めの朝食としゃれこみ、道端に転がっていたペットボトルのキャップを転がして遊んだ後、昨日出会った海岸で別れた。

その間、女は俺をヨシヒロと呼び、
別れ際にも女は、
「ヨシヒロ、またね」
と言った。



その後女がどこへ行ったかは知らない。
飼い主のところへ戻ったのか、野良猫として暮らしているのか。
死んじまったってことはないだろう。
女は俺に、またね、って言ったんだ。

まあ、どっちにしろ俺には関係ねえ。
俺は野良猫で、他の猫の心配をしてるほどたいそうな身分じゃねえ。

そしてヨシヒロなんて名前ももういらねえ。

せっかく女がつけてくれた名前だが、
孤独な野良猫の俺には必要ない。

どうせまたすぐに忘れちまうさ。
そんなもんさ。




あれから何日がすぎたのだろう。

前日から降り続く雨のせいでひどく眠たい。
なぜ猫ってのは雨の日になるとこう眠くなっちまうのかね。


うとうとと惰眠を貪る俺の目の前に
例の女が薄笑いを浮かべて立っていた。

「おっす、ヨシヒロ!」

「よお、チャコ。なにやってたんだよ」

「生きてたわよ。また飼い猫としてね」

「タミちゃんのところに帰ったんだな」

「うん帰った。でもね、家追い出されちゃった」

「あんた、なにかしたのかい?」

「ちがうわよ。あんたのせいよ。あんたにうつされたノミのせいでタミちゃんにまで嫌われちゃったんだから」

「ほんとうか。そりゃわるかったな」

「ねえ、あたし今日からここで暮らすから」

「なんだって!?」

驚く俺を無視して、女は俺の毛布に前足を交互に押し付け、モミモミと眠る準備を始めていた。

俺は女に言った。

「よお、死ぬのはどうなったんだ」

「死ぬのはやめたわ。だってあたしが死んだら、せっかくあたしが付けたあんたの名前、誰が呼ぶのよ」




こうして俺たちはともに暮らし始めた。

女は俺をヨシヒロと呼び、俺はその名前が好きでも嫌いでもなかったが、
とにかくはそれが俺の名前であることを認め、呼ばれれば返事をした。

しかし女と出会って二度目の冬がきたいま、またしても俺は名前を忘れかけようとしている。

もうヨシヒロって名前は必要ではなくなっちまったんだ。

もう誰も俺をヨシヒロとは呼ばなくなった。


だからって、おい、女が出て行ったとか、死んじまったとか、そういう陰気な理由じゃねえぜ。

女はまだ俺と暮らしている。現に今も俺の隣で毛づくろいに夢中さ。

それから俺によく似た模様のガキも一緒だ。


つまりはまあ、いまオレはパパなんて呼ばれちゃってるのさ。

それだけのことさ。



投稿者 hospital : 2013年07月10日 01:15