« カルマンの少女 01 | メイン | カルマンの少女 03 »

2014年05月22日

カルマンの少女 02

やっぱジョブスすげーよなー。
ジョブスいなきゃだめだよなー絶対。

念仏のような声で私は目を覚ました。
私は壁の中から男が出てくるという出来事が夢だったのか、現実だったのかとっさに思い出そうとした。
どうしても現実の気がして、私は声のする居間に向かってゆっくりと扉を開けた。

男は下着を着ていたが、上半身は裸の状態で、脇に携帯をはさみ、居間をウロウロしていた。

「i-フォンってさ、体温計にもなるって知ってた?こうやって脇に挟むと」
「うひょー36.9℃。びみょーだー。微熱だー。やっぱり今日休もうかな」
「この判断を君に任せたい。右脳で言って。休むべきか否か」

私は返事をしない代わりに訊ねた。寝起きだというのに目はすっきり覚めていた。


「一体何者なの?あなたは」


男はD&Gの股上が異常に短いパンツを小学生のようにたくしあげながら言った。

「そういうお前は何者なんだ」

私は一瞬ひるんでしまった。

「ドルチェとガッパーナが何者か知っているのか?」
「え・・知らないけど」


「オレもだ」

「・・」

「なんちってーなんちってー。お前さー。遅刻するぞ。早く服を着替えろよ。オレも着替えるから」

スティーブはそう言うと、壁の中に入って行った。
居間に一人取り残された私は一瞬途方に暮れたが、我に返り時計を見た後、急いで部屋に戻り着替えをした。

居間に戻ると、スティーブはスーツ姿で私を待っていた。
三世代前のモッズスーツのような細身のスーツで、髪型もマッシュルームになっていた。
そのスーツ姿に対して、彼は何か言って欲しそうだった。

「ど・・どう?」
「スティーブジョブス風に言っていい?」
「いい」

「信じられないほど悪趣味」

スティーブはそれこそ信じられないほど、ショックを受けたようで、何も言わずとぼとぼと肩を落として壁の中に消えていった。

そして、3分後、着替えを終えて壁の中から出てきた。
奇麗なスーツを着たスティーブは、口には出さなかったが、スマートで格好良かった。

「じゃあ行くか。腑に落ちないが」

スティーブはそう言うと、私と一緒に家を出た。

駅までの道を私はどういう訳かスティーブと肩を並べて歩いていた。
スティーブはわざとなのかどうか、電信柱を見るとわざわざその中を通りぬけて歩いた。
それは横断歩道の白いところだけ踏もうと大股で歩いている小学生の姿と似ていた。

「一体どこへ行くの?」
「会社だろー」

彼は電柱柱をめがけて黙々と歩きながら答えた。

「会社行くの?」
「会社くらい行くよー。生活かかってるし」
「え?」
「あ。ごめん。そうだよね。オレみたいにロックな生き方してる人間が生活感あること言ったから不思議に思ったよね。もしかして夢壊しちゃったかな?」
「ロックというか、人間かどうかわからない人が生活感あること言ったから驚いた」
「まあ、イギ―ポップはある意味人間を超えてたからな」
「そういう意味じゃないけど」
「そういう意味ではあれだな。茂木スティーブじゃなくて、茂木ポップというのもありだな」
「・・」
「それ ないからー。150% ないからー」

スティーブは私に話しかけるというより、鼻歌を歌うように楽しそうにつぶやきながら歩いていた。


その日、会社に着いたのは始業時間の8時半ぎりぎりだった。
事務所の扉を開けると既に朝礼の最中だった。
思い出したが、その日はこの上海支社の新しい社長が赴任する日だった。

「それでは、新しい上海支社長をご紹介します。どうぞ」

目を疑ったが、スティーブが私の職場に立っていて、正々堂々と皆の前で自己紹介をしていた。

「上海に来る前は、シカゴ事務所で5年働いていました。みなさんと楽しい仕事をしたいと思っています。よろしく。」

スティーブはさわやかな笑顔を浮かべながら、自己紹介を終えた。
初めて見た人にはイケメンビジネスマンにしか見えなかったと思う。
実際、その日の昼休み、屋上で昼ご飯を食べていた女子社員の話題はスティーブで持ちきりだった。

「ねえ、ヤバいよね。スティーブ」
「絶対ヤバい。」

そうなんだよ。絶対ヤバいんだよ。と私は心の中で相槌を打ちながら、彼女たちの話を聞いていた。
今まで現実と思って見てきた世界がパタパタとはがれ落ちてきているような気がした。
私は売店で買ったサンドイッチを食欲のないお腹に押し込んだ後、膝の上に顎をのせ、なんとなしに足元の床を見つめた。

「なんとなし。なんとなしに。なんとなしに夜はふけていった」

目の前のコンクリートの床に顔のような凸凹ができたかと思うと、昨日からやけに耳に残っている声が聞こえた。

「びっくり?」
「そこから話しかけないでほしいんだけど」
「そういうもんだよね。とは言わない」
「じゃあ気の利いたこと言ってよ」
「お前のそばにいたかったんだよ」
「・・」

「なんちってー。なんちってー」

一瞬ドキッとしただけに、余計に腹が立った。

「そもそも」
「なによ」

「パンツ見えてるぞ」

私は全身の力を右手に集めてから、手に持っていたパック入りの豆乳をコンクリートの床に投げつけたが、スティーブは涼しげな微笑を浮かべた後、また消えてしまった。

(つづく)

投稿者 hospital : 2014年05月22日 22:20