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2014年08月21日

カルマンの少女 05

スイーツを食べに行きたい。
なぜだろう。
今までスイーツに限らず、横文字なものに必要以上に反発してきたのに。

スイーツ。

そう口にするだけで冷汗が出そうになる。

最近、冷汗が出そうなこと、やったことのないことをしたくなる。


・・

あのぉ

・・

スイーツを食べに行きたいんですがぁ。


土曜日の午後、珍しく家にいる妹に私は勇気を出して声をかけた。
休日に積極的に外へ出ようなんて今までは全く思わなかった。ましてやスイーツ。
その日、私は街へ出てお洒落なお店に行ってみたいと思った。

ネグリジェ姿の妹は立ったままハーゲンダッツを食べていた。
不思議そうな顔でしばらく私を見つめた後、いつものようにあっけらかんと言った。

いいよ。シャワー浴びてからね。

妹のシャワーは長い。
お風呂から出て、支度をして・・家を出るのはきっと6時過ぎくらい・・スイーツというより晩ご飯になっちゃうなと思っていたところ、意外にも30分ほどで身支度を終えて出てきた。

朝からスティーブは出かけていた。
ゴルフに行くらしく、朝5時に起こされ、どのゴルフウェアを着るべきかという難題に付き合わされた。


「今日のスイーツだが。残念ながら付き合えない」

妹と二人で家を出ようとしたころ、スティーブからメールが着た。
スティーブには伝えてなかったはずだったが、あまり気にしないことにした。
この人のことについては、考えてみても結論は出ない。

正直なところ、今日は本当に妹と2人で出かけたい気分だった。
2人だけで特別な用事もなく出かけるというのは本当にいつぶりだろう。


「わあ。お姉ちゃん。そのスカートきれい」

私を見るなり妹は言った。

「オスギ風に言ってもいい?」

「いいよ」

「アナコンダみたい」

「褒めてないでしょ?」

「褒めてなく聞こえる?」

「聞こえる」

「本当にいいと思ってるよ。本当に。私、普段いいとも思わないのに 素敵 とか 格好いい って言ってるから、本当にいいなと思うと、照れくさくて言葉が出てこないんだよね」

妹はあながち白々しくもない口調でそう言った。


妹の車に乗ると良い匂いがした。
真白い大きなジープで、日本円にして600万円もした。
当時、どこからそんなお金が出てきたかと聞きたそうな私に向かって、妹はニコっと笑いながら

「お金はあるところにはあるのよ。大事なのは可愛く受け取ること。」

とだけ言った。
妙な説得力があったのでそれ以降は聞いていない。

妹がエンジンをかけるのと同時に、聴き慣れないオルタナティブロックが聞こえてきた。

「何?この病的な音楽は」

不思議に思い、私が尋ねると妹は珍しく真面目な顔で

「たまに聴きたくなるでしょ。こういうのも」

と言った。

上海の高速道路はいつも混んでいて「駐車場」と呼ばれている。
スティーブは高速道路を走るといつも「高度成長期の日本みたいだなぁ」と見てきたようなことを言う。



妹の声が聞こえたのと同時に、車が一瞬止まり、私と妹はフロントガラスに向かって前のめりになった。
前の車のバンパーに、私たちの車のバンパーがくい込んでいる。

ボンネットからは少しだが白い煙が上がっている。


交通事故。


どうも妹と交通事故が結びつかない。


車を高速道路の脇に寄せた後、外に出てパトカーが来るのを待った。
ぶつけられた方の車の持ち主は中年夫婦で、明らかに不機嫌な顔をして、ブツブツと何かを言っていた。

妹は妹で不機嫌そうに何も言わずにガードレールに寄りかかっていた。


パトカーがなかなか来ない。

もともと渋滞している高速道路を更に渋滞させたため、私たちの横を通り過ぎる全ての車からあからさまに不機嫌な目線を感じた。


「悪いニュースと良いニュースがある」

聴き慣れた声が聞こえた。

「まず悪いニュース。今、まさにこの場所は、たくさんの人たちの不機嫌で汚染されている」

なぜ、ここにいるのかと一瞬考えたがやめた。この男のいる場所に現実を持ち込んであまり意味がない。

「そして良いニュース。鼎泰豊はUSBカードで支払いすると杏仁豆腐が無料でプレゼントだ」

どうだと言わんばかりの顏で私を見つめるスティーブを、私は精一杯不機嫌な顔で見つめた。


「なんでいるのよ」

「通りかかったんだ」

振り返ると、確かに妹のジープの隣に一台の車がエンジンをかけたまま横付けされている。
運転席には見知らぬ男が座っている。

「ゴルフどうだったのよ」

「ゴルフがどうだったかという質問は、ロックは本当に死んだのかという質問に似ている」

言っていることはよくわからなかったが、正直なところスティーブが来てくれたことで安心していた。

「ところで誰?あの人」

運転席に座っている男を見ながら尋ねると、スティーブは

「今日のゴルフでオレにコテンパンにやられた男の一人だ。名前は沢木。送ってもらったんだ」

と言った。

運転席の男はこちらを見るわけでもなく、ただじっと前を見つめていた。


「例の揚子江マンションのクライアントだ」


―――――――――――

「今のスイング。まるで高度成長期の日本みたいでしたよ」

私は、朝からゴルフに来ていた。
このゴルフというスポーツはどうも性に合わない。
性には合わないが、スコアは良いため、好きだと勘違いされている。

今計画を進めている大型物件の客に誘われ、やむを得ずゴルフに出かけた。
というよりもこの客は少し興味深いのだ。

一人は営業マンで、口数と油分が多く髪の毛は少ない。
もう一人は若手社員。5番アイアンとピッチングだけを握りしめてラフからラフへと右往左往走り回っているタイプ。
そして、もう一人。この物件のマネージャーをしている男だ。
興味深かったのはこの男だ。


「今のパター。キャメロンディアスが見たらきっと『ゴージャス』って言うでしょう」

次回から誘われないように、ノリの悪いセリフを選んで口にしているつもりだが、それが逆効果で

「スティーブさん。のせるのがうまいなぁ。そうやって自滅させる気でしょ」

などと油分系営業マンに言われる。
本気で自滅させるつもりなら、こんな生ぬるいやり方はしない。

最終ホール。
あまり良いスコアでも良くないので、あえてバンカーに入れてみた。
ここで

「ざまぁみろ!スティーブ。お前みたいなダシの入ってない味噌汁野郎にはバンカーがお似合いなんだよ。死んじまえ!」

とでもヤジを飛ばしてくれれば少しはゴルフに面白さを感じられるかもしれないが、そんな気の利いた演出は一切ない。

「うわぁバンカーだ」

と試しに口にしてみたところ、アイアン系若手社員から

「スティーブさんでもミスすることがあるんですね」

と言われた。この若手社員。言うことは平凡だが、顔も平凡で、スコアも平凡だ。


私は思いを馳せた。

そもそも、ゴルフ場という散髪したての小学生のような清潔感が好きではないのだ。

夏の針葉樹が風に揺れている。
産毛のように揺れるフェアウェイ。
モノ欲しげなキャディ。
もしあのキャディが突然キャディウェアを脱いで柔道着に着替え、
ガッツポーズをしながら


タワラ―


と叫んだら、この凡庸さが薄らいでいくのだろうか。

答えは否。

むしろ、この底抜けに凡庸な空が余計に空しく見えてくるだろう。


5番アイアンの若手社員が嬉しそうに言った。

「スティーブさんの番ですよ」

私はバンカーに静かに下り、深くゆっくりと息を吐いてからサンドウェッチを振りぬいた。
バンカーの白い砂と共に白いボールが空高く舞い上がった。

凡庸さは晴れない。

青い空に白いボール。
モノ欲しげなキャディとそれに色目を使うサラリーマン。
どちらも純粋という点で共通している。

白いボールは緑色のグリーンの上に鈍い音と共に落下し、緩い勾配に沿ってグリーンの真ん中にある穴に向かって転がっていく。

私はバンカーからボールの行く末を見つめながら

タワラ―

と呟いてみた。

連中には聞こえていない。

ボールはゆっくりとグリーンを下り、軽やかな音を立てて穴に入った。

それを見届けた連中が「スティーブさんほんとにプロですね!」だのなんだと騒いでいる声に私は上の空で言葉を返した。

ただ、一人、例の男だけは微笑を浮かべたまま無言だった。


男の名は沢木と言った。

スイーツに行かずにゴルフなんかに付き合ったのはこの男が気になったからだ。


「家まで送ってきますよ」

クラブハウスでシャワーを浴びた後、沢木は私にそう言った。


――――――――――――


せっかくの休みの土曜日。朝からスティーブとお姉ちゃんの声に起こされた。
時計を見るとまだ朝の5時だ。

「BOSSグリーンだ」

「どうでもいいわよ」

「どうでもよくないだろ。この服はBOSSグリーンなんだぞ」

「だからどうでもいいわよ」

どうもスティーブはゴルフに行くらしい。
私は残念ながら壁を通り抜けることはできないが、壁の向こうの二人の姿は容易に想像できた。
ほんの少し気楽な気分になり、私はまた眠った。

午後3時頃、ようやく目を覚ました私が居間をウロウロしていると、お姉ちゃんが何か言いたげに私の後をついてくる。
目が血走っている。
何かを告白されると思った瞬間、お姉ちゃんが「スイーツを食べに行きたい」と言い出した。

姉に向かって言うのもなんだが、可愛いなと思った。
そして、久しぶりにお姉ちゃんと二人で出かけるのもいいなと思った。


そもそも。この妙な気分を少しでも紛らわせたかった。

シャワーを浴びながら、あの男のことを考えていた。
もうあれから1カ月近くもお店に来ていない。
もう来ないのだろうか。

それでもかまわない。

頭の中でそう言ってみるもののどうもしっくりとこない。


答えは否。

この不都合な真実をしぶしぶ認めるのと同時に、私はシャワーを止めた。


「早いわね今日は」

お風呂から出てきた私にお姉ちゃんはそう言った。
無邪気に嬉しそうな顔をしていた。
可愛いなとまた思った。

お姉ちゃんは最近買ったばかりの綺麗なワンピースを着ていた。


青天のヘキレキ。


きっとこういう感覚のことを言うのだろう。

前の車のバンパーが凹んでいる。

ふと気づいた瞬間、助手席に座るお姉ちゃんが前のめりになる姿が横目に見えた。

車からは何事もなかったかのように音楽が聞こえてくる。


私はあの男のことを考えていたのだ。
それがショックを加速させた。

車から降りた私はガードレールに寄りかかって自分の気持ちを整理しようとした。
隣ではぶつけられた車の中年夫婦が私に向って何か言っていたが、ほとんど耳に入らなかった。


「高速道路のガードレールがこんなに似合う美人はお前とナオミワッツくらいだ」

ようやく私の混乱した頭が認識したのは、近頃聴き慣れている男の声だった。

「スティーブ。どうしたの。来てくれたの?」

スティーブを見て急に心が楽になった。
スティーブの横には嬉しそうにニコニコ笑うお姉ちゃんがいた。
そして「偶然通りかかったらし・」と言いかけたお姉ちゃんの声を遮るように、

「オレを呼んでいる声が聞こえたんだ」

と言うと、スティーブはブラッドピットさながらの涙目で私を見つめた。


「ブラッド・・」

私がそう言いながらスティーブに抱きつこうとした瞬間、私の車に横付けした車に座る男が目に入った。


「あの人・」

私がそう言うと、お姉ちゃんが私の目線を追い、

「ああ。あの人。スティーブを送ってくれたんだって」

と言ったが、お姉ちゃんの声はほとんど聞こえなかった。


あの男。


どうしてここに。

そこにあるはずのないモノや出来事でも、目の前に差し出されればそれは現実になる。

スティーブが壁の中から出てきたときに感じた感覚に似ていた。

近頃私の頭から離れないあの男が目の前にいた。


男は私に気づいているのかどうか、目線をこちらへ向けず、ただじっと前を見つめていた。

(つづく)

投稿者 hospital : 2014年08月21日 16:33