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2014年12月15日

カルマンの少女 08

正直言ってわたしはワクワクしていた。
スティーブと夜の事務所で例の揚子江マンションの図面を研究した後の帰り道、スティーブは通りすがりのワインバーに入って行った。

「もう12時なんだけど」

と一応言ってみたものの、それもいいかなと思いついて行くことにした。

ドアを開けると、変な声が聞こえた。

ド。ド。ドドド。
あ。あ。ミファソ。ミファソ。
ド。ド。ド。レミファソシ。

蝶ネクタイをした異常に背の低いちょび髭のオジサンが舞台の上でマイクチェックをしている。
客は一人もいない。舞台の前に無造作に机が並べられている。

「や。ややややや。スティーブちゃん。どうしたのぉ。ご無沙汰しちゃって」
「通りかかったんだ」
「つれないこと言ってぇ。アタシに会いたくて来たんでしょ」
「どちらかというと会いたくなかったんだよ」

スティーブはニコリともせずに蝶ネクタイのオジサンに淡々と答えると舞台の目の前の3人掛けのテーブルに座った。

「もぉ。こんなかわいい子連れちゃって。嫉妬しちゃう。アタシ」

小さいオジサンはおなかとお尻と太ももが一体になったような腰をくねくねと動かしながらそう言った。
とは言うものの言葉とは裏腹に楽しくて仕方がないような顔をしている。

このおじさん気持ち悪いけど憎めない。

「ところで、沢木は?来た?」

スティーブは突然沢木の名前を出した。

「あら。そういうのなしよ。まずは飲みましょ」

マスターは背中とお尻と太ももが一体になった腰をくねらせながらバーカウンターへ戻って行った。

「どういうこと?」
「沢木?」
「そう」
「沢木ってさ」
「うん」
「よくここに来るんだよ」
「え。意外」
「まーね」

マスターが右手の指で挟んだ赤ワインをグリングリンと縦回転させながら満面の笑みで戻ってきた。
そして、そのお腹と完全に一体化したサスペンダーを残ったほうの左手でパチンパチンと弾いた。

そして、静かにコルクを抜くと、グラスにワインを注いだ。
あんなに振り回していたからさぞかしワインが泡立っているだろうと思ったがそうでもない。
というよりも、泡ひとつなく透き通るような静けさだった。
よく見るとマスターの手は美しい女性の手のようだった。
まじまじと眺めたことはないが、きっとニコールキッドマンはこんな手をしているんじゃなかろうかと思った。

綺麗な手。

わたしがそうつぶやくと、マスターは顔を上げて二カッと笑った。
笑ったというよりもパックマンのようにパクッと開いたような状態だった。
アゴとおなかは先ほどよりも一体化が進んでいるように見えた。

おでこまで一体化してる。

「まあ、あまり気にするな」

スティーブは混乱し始めた私に気づきそう言った。
そもそも、壁の中から出てくる人と一緒にいたせいか免疫力はついているようだったが、やはり変なものは変だ。

「沢木ちゃん来たわよ」

マスターが話し始めた。

私がドキッとする間もなく

「でも、何も言ってなかったけど。いつもみたいにクールに飲んでたわ」
「な、なんか揚子江がどうとか。。。言ってなかった??」

我慢が出来なくて私がそういうと、マスターは顔に似合わず凛々しい眉毛を釣り上げて、何か思い出したような顔で固まった。
そして、10秒ほど、微振動を繰り返した後、はっと目を見開き、

「何も」

と言った。
あまり期待はしてなかったが、前置きが長かったので少し頭にきた。

「でも、三重がどうとか言ってたかな」
「三重?」
「今年で5年目とか言ってたわ」
「・・・」
「10年目だったかしら」

「思い出してきた」

マスターはそういうと、突然、忍者のようにサっと飛び上がった。
異常な飛躍力で、天井にぶら下がっている配管をつかむと、

よーしよーし

と言いながら大車輪を始めた。
グルングルンとものすごいスピードで回り続ける。
あまりに鮮やかだったので見とれてしまった。

な、なんなの この人

人というより変な動物のような気がしていた。

「まあ。大丈夫だよ」

スティーブがそう言うので、まあいいと思うことにした。
悪い人でないことはわかるし。
そもそもこれは考えてもわからないことの気がした。

そして、マスターは大車輪の最後に、配管から手を放し、軽やかに空中に飛んだ。
そして、その軽やかさとは裏腹に、まるでボタ餅のようにコンクリートの地面にベタンと落ちた。

「いやぁ」

と言いながら立ち上がったマスターは続けた。

「伊勢神宮って言ってたわね。伊勢神宮」
「伊勢神宮?」
「うん。なんか行くらしいわよ」

「思い詰めた感じだったけど。まぁそもそもあの人いつも思い詰めた感じだけど」

私がはっとしてスティーブを見ると、スティーブも私を見つめた。
やけに真面目な目つきで私を見つめるので声が出なくなってしまった。
しばらく見つめ合うと、スティーブは同じく真面目な顔つきで

「マスカラしないほうが綺麗だけど」

と言った。

「ほっといてよ」

と言ったものの、久しぶりのマスカラだったので気になって

「ほんと??」

と聞くと

「華やかでいいんだけど。でも、パティスミスはマスカラをしない」

と言った。

まあいい。
妙な納得をした瞬間。

「明日、出張に行こう」

と急にスティーブが言い出した。

「え?わたしも?」
「ちょうどあの常州のロボット工場のお客さんの本社が三重だろ」
「そうなの?」
「そうだ。だから明日出張へ行こう。三重に」

ほぼピクニック。

と思った瞬間、急に楽しくなった私は、目の前のワイングラスを一気に飲み干した。

「あらいい飲みっぷり」

マスターがそう言ったのと同時に、ふと思った。


沢木って一体何を考えているのかしら


お金儲けのため?
少なくとも高速道路で見た沢木という男はお金儲けのためにあんな建物を作る人間には思えなかった。

そして同じく高速道路で見た妹の横顔が浮かんだ。

妹は何か関係してるんだろうか。

そんな思いを打ち消すように頭をグリングリンと振ると

「そうなんだよねー」

とスティーブが横でうんうんと相槌を打っている。

「勝手に読み取るのやめてくれない」

そう言ってみたものの、スティーブは相変わらずこくんこくんとうなづいている。

そこでギャギャギャーンという音が聞こえた。
振り返ると、マスターが舞台の上でエレキギターを抱えている。

― カートコバーンはピクシーズに入りたくて、オーディションを受けた。でも、顔がきれいすぎるということで落ちた

マスターはそう言った後、
ジャ、ジャ、ジャーン。ジャ、ジャ、ジャーン と静かでしっかりとしたリズムを刻み、歌い始めた。

いい声。

そうつぶやくと、マスターは舞台の上で二カッと笑った。
横を見るとスティーブが静かにワインを飲みながら舞台の上のマスターを眺めている。

どうもワクワクしている。
悪いことが起こるかもしれないというのに私は間違いなくワクワクしている。

「オレも」

スティーブの声が聞こえた。
気付くと手には「だって三重だもん♪」と書かれた旅行本を持っている。

色々聞きたいことがある気がしたが、すべてやめて

私は、目の前にあった二杯目のワインを一気に飲み干した。


(つづく)

投稿者 hospital : 2014年12月15日 22:28