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2005年04月25日

パーフリをやめたわけ

ブログについて考える。
植松君のエントリーを読んで胸が躍った。
なぜか。そこにはリアルな友人の日常が綴られていたから。
ネットで日記なんて、なんだかおかしなことじゃないかしら、
と考え込んでいた今日この頃。
ましてや個人的な思い出話なんて…。
と自分を恥ずかしく思ったりして。
でもね、面白いよね、友人のことを知るのは。
最高だね。ご機嫌だね。
この気持ちを邦画のタイトルであらわすと
「ウッホッホ探検隊」ってかんじだね。
(こういうの流行らないかな)

しかしまあ、なんですなあ(桂小枝風によめ)、昨今のこのブログ文化。
誰でもエッセイスト。誰でもジャーナリスト。誰でも評論家。
素敵なことだと思います。ブログ、愛してます。
俺も頑張る。

そういうわけで、このわたくし不肖ユージンも、
アメリカからみた日本のニュースを大橋巨泉ばりに意見したい。
意見して感心されたい。感心されてモテたい。
というわけで日本の政治についてガツンと論じたい!
ところがね、やっぱね、まずいんですよ、お客さん、
政治と宗教とプロ野球の話はこの業界じゃタブーなんでさあ。
だって、いろんな人がいるでしょ、それぞれ支持するものが違うわけでしょ、
こっちも客商売ですからね、下手なこと言って怒らせちゃまずいでしょ、
だからね、もうハナからその話題は避けるべきなんです。
通行止め、赤信号、じゃなくてね、もう車両進入禁止地帯ってわけでさあ。
あれ、お客さん、この道まっすぐでいいんだっけ?
(我ながらアホだねー)

やはり、芸能ネタで行きましょう。
わかりやすいもんね。
それに俺、馬鹿がばれるの嫌だもん。

ではまず、ちょっと遅いのだけど「高田渡死去」というビッグニュース。
これが一部の友人たちに大きなショックを与えた。皆さんのまわりはどうでしょう。
古い友人のTはメソメソと何日も泣き暮らしたときくし、
かつて音楽業界のすみっちょで働いていた同居人は「なぜ?なぜ?なぜだー」とここNYで地団駄を踏む始末。
彼ら二人にみる共通点はボガンボスどんとのときも同じような行動にでたという過去であり、二人とも、どんと、高田渡と同じ岐阜県出身。こりゃなにかあるね。
ついでにいうと俺も同じ県出身なのだが、本当はグラスゴー出身と思い込んでいるから、そこまでショックではないのもうなづけるという話。
まあ、昨年中の亡くなったジャック・デリダとか?スーザン・ソンタグとか?なんかは感慨深いものがありましたよ(インテリでごめん!)。
でも一番ショックだったのはあれだな、藤子・ファッキン・ファンキー・ファンタジスタ・不二雄先生がお亡くなりなったときのことだね。
朝刊もってその場でぶっ倒れそうになったもんな。俺、高三だったよ。もう立派に大人のくせに。
というわけで、本日は俺と藤子先生の感動秘話を…。
と思ったが、今回は時事ネタを語りたいので、次の話題にすすみます。

これまた、もうずいぶん遅いくらいつきであるとは思うが、
「渡辺満里奈結婚」をあげなげればいけない。
渡辺満里奈といえば、アレである。
アレというのはつまり、あのバンドの解散理由がこの人の取り合い、
という90年代半ばまでまことしやかに噂されたあの問題である。
ここでピーンときてしまったヤツはずばりこれ、渋谷系世代。
悪い大人たちに踊らされ、陰気なフランス映画とNHKのサブカル番組と限定アナログ盤に振り回された悲しい世代だ。
悲しいね。本当に悲しい世代だね。いったいその後みんなどうしてるのだろうね。
きっと田舎の両親だまくらかして東京に出て文系私立とか美術系の学校とか行っちゃってさ、学校もいかずフレームの太い眼鏡かけて代官山界隈をほっつき歩き、たまにある仲間内のDJイベントでは大ハッスル。それで就職はもちろんマスコミを受けるんだけど、世の中そうそううまくはいかないもので、じゃーまー、フリーターでもやりながらいっちょクリエイターにでもなってみますかね、と思ったが、そんなツテもスキルも才能もありゃしない。こりゃやっべえってことで急いで就職。カタカナ名のベンチャー企業。そしたら、そこがブラック企業。体育会系が幅をきかす世界。朝から訓示を大声で朗読。ノルマが果たせず家族や友人に泣き落とし。JPOP好きの同僚とは話があわねえ。デザイナーズスーツでびしっときめたら上司に蹴られる。会社のカラオケで誰も知らない曲を選んで場をしらけさす。そんな鬱憤をはらすため、趣味のレコード収集に力をいれる日々。よーしこのままDJにでもなっちゃいましょうかねと意気込んではみたけど、自分の安月給じゃ思うように機材やレコードが買えやしない。こいつはまいったと頭を抱えていたところ、通りかかった消費者金融。おや、あのかわいいお地蔵さんならCMでみたことがあるぞ。どれどれ、ひとつお参りでもしようかね。そこに並んだいくつものボタン。押さずにはいられないのがデジタル世代の悲しい性。ピッピッピピピピ。。。わお、魔法のように金が湧いてきたぞ。こりゃすごい。しかし、いったいこのお金はどこからやったきたのか。しばし熟考。ポンと手を打ち、こう叫ぶ。わかったぞ、未来の大成した俺っちからの仕送りにちがいあるめえ。なんたるありがたいことか。いよいよやる気がわいてきたね。お地蔵さん、出世払いでよござんすかね。なあに、倍にして返しますよ。
そして、気がつきゃ借金まみれ。いつのまにやら会社は干され。ある日誰かがドアノック。窓の外には黒ベンツ。強面兄さんやって来た。襟首つかまれ拉致られた。ついた先はどこかの漁港。船に乗せられいざ出航。天気は快晴、航路は順調。マグロ漁船でレッツゴー!
かくして彼の大航海(後悔)時代のはじまりはじまりなのでした。
(あわわわわ。笑えねー)

もちろん、俺はちがうよ。全然渋谷系なんかじゃなかった。
マジで。ごくふつーのハイティーン。いや、ほんと。
金曜の夜はカヒミカリイのミュージックパイロットなんか聴いてないし、
土曜の夜はテレビに映る緒川たまき眺めてドキドキなんかしてないし、
深夜の衛星第二でゴダールの映画なんて標準録画してないし、
小沢健二の一夜限りのオールナイトニッポンなんてメタルテープにダビングしてないし、ロッキンオンジャパン2万字インタビューで案外普通なビッケに失望なんかしてないし、ラップはやっぱLBでしょ、とか言ってないし、ラヴタンとか略してないし、ネオアコとか意味わかんないし、ボーダーシャツなんか着てないし、ボタンダウンシャツなんて集めてないし、モミアゲ伸ばしてないし、学生服のポケットにジャン・コクトー著・堀口大學訳「恐るべき子供たち」なんてしのばせてないし、コーネリアスのカセットテープ全色コンプリートなんて全然興味ないし、「こないだの米国音楽で加地君が紹介してたトートバッグ、超かわいいね」なんて会話はしてないし、
もう!ちがうってば!

さて、渡辺満里奈である。
あのバンドのことである。
あの突然の解散理由のことである。
でもね、あの噂は全部デタラメ。根も葉もない嘘です。
俺がいうんだから間違いない。

うん。そろそろ俺は真実を話さなければいけないな。
当時、あのバンドに在籍していた者のひとりとして。
俺がこの場で真相を語ることで、他のメンバーがどう思うかは、
今や親交の絶えた間柄であるから知る由もない。
ただ、当時から嘘や隠し事が大嫌いだった俺の性格を汲み取れば、
いつか公に明かされることなど覚悟の上であったと思う。
さあ、いまこそ話そう。1991年の10月のことを。
つまり、これから話すのは俺がフリッパーズギターだったころのことであり、
俺がフリッパーズギターだった最後の日のこと。

以下、回想。(もうお決まりだね)

まだ中学一年生だった俺は恋に部活に勉強に、そしてフリッパーズギターに大忙しの毎日。小山田、小沢、小池(俺のことね)の三人で組んだ俺たちフリッパーズギターは、オリーヴ少女の憧れの的として、そりゃもうきゃあきゃあ言われて大変だったんだから。
やることなすこと羨望の的。洗練された音楽。知的な歌詞。小奇麗なルックス。時折放つビッグマウスもファニーフェイスでご愛嬌ってわけ。
それから、トリプルスモールコーポレーションというソングライティングチームを気取ったりなんかもしてたっけ。(まあ本当は歌詞のほとんどを俺が書いていたことなど、賢明な読者諸氏なら、俺の文体から容易に想像がつくだろうけど。)
ただ、やはり年の差なのか、はたまた根本的な人間性の違いか、俺と他の二人の間に大きな溝があったことは否めない事実。
仲が良いとは決して言えなかったな。

その日も楽屋で年上の小山田と小沢が仲良く焼酎のホッピー割りを浴びるように飲む中、俺はふたりからはすこし離れ、部屋の隅っこでひとり、カフェオレを飲みながらサローヤンの小説を読んでいた。

そのうちに、二人がいつものように大きな声でオイチョカブ(花札)をはじめるのが聞えてくる。まったくうるさい連中だ。すこしは静かにしてもらいたいものだな。どれ、ひとつ注意でも、と思っていた矢先、二人の楽しげな声がただならぬ怒声に変わった。

小山田「おんんどりゃあ、イカサマしやがったな!」
小沢「てやんでい、こちとらそんなケチな野郎じゃないわい!」
小山田「じゃかましいわい、このガキャア!耳の穴に指突っ込んで奥歯ガタガタいわせたろかい!」
小沢「なんじゃい、このウスラトンカチが。イカサマはお前さんのほうとちがうんか!」

ごめん、書き出したはいいけど、ちょっとうまく思い出せない。
つづきは次回に・・・。

yujing

投稿者 hospital : 17:39

2005年04月23日

蒸し暑い夜

中国へ来てから何度目の土曜日だろうか。
今までで一番憂鬱でノンビリした土曜日だった気がする。

今、ユージンのトラボルタ監督の思い出話を読んで感動した。
オレも思い出話を書きたいところだけど、田舎少年まっしぐらな人生を送ってきたオレには
話したいような思い出話がそうそう見つからない。

深センでは今、デモが盛んで、色々な野蛮なニュースを聞く。
高校生の時から、自分のことを「本来アメリカで生まれるはずだった人間」と思っているため、
別に日本を嫌われても悲しくはない。
「どこの国だ」と聞かれて、「韓国人です」と答えることにも抵抗はない。
しかし、こんなにも根が深い恨みを中国人みんなが持っているということに少し驚いた。
会社の気の知れた中国人でさえ、やはり少しはそういう部分があるようなことをポロリとこぼしたりする。

近頃、日本の建築技術を知らなければいけないと思い、
日本から日経アーキテクチャーを取り寄せている。
「建てちまえ!」という勢いで建て続ける中国で、時代音痴になることが怖くなったのだ。
その中に、30代前半で世界で活躍中の建築家たちのことが書かれていた。
どうもこういう話は、長い学生生活を送って、「オレは一体何なんでしょうか」と思い続けながら映画を見続けていた人間にはあまり面白い話ではない。
経歴を見てみると皆、大学卒業後、有名企業や、有名建築家の下で働き、独立。
となっている。
そのくせ、影響を受けた建築家の欄に、「特になし」とすかして書いてやがったりするもんだから
オレだったら胸を張って「安藤忠雄」と答えてやる。と聞かれもいないのに考えたりした。

そんな中、一人、「大学卒業後、独立。」というシンプルな経歴を持つ人がいた。
写真を見てみると、坊主頭でニコニコ笑っていて、建物もすっきりしていて綺麗だ。
しかも、卒業後と独立の間には6年の空白期間がある。
彼は卒業後、6年間、北海道の実家にこもり、「建築とは何か」と考え続けたらしい。
どうも、こういう「根本系」の人が坊主頭にたどり着く道のりのことを思うと悲しくなる。
だけど、少し嬉しかった。

ともかく、色々感じながらもノンビリ会社へ行き、ノンビリ地下鉄に乗って帰ってきた。
休日なので特に出勤する必要もなかったけど、
親しい人が出張で遠くへ行っているため、寂しくて出勤することにした。
デモの影響でバスは決行することが多く、近頃地下鉄に乗るようになった。
地下鉄にはなぜかヨーロッパやアメリカの人が多く乗っている。
地下鉄は落ち着くのだろうか。
街中であまり見かけないのに、地下鉄で見かけるが少し不思議だ。

ベックの新作が好きだ。
まるでB面トラック集のような軽い印象を受けたけど、すごく好きだ。
オレもベックが好きだ。
昔、ルーザーのプロモーションビデオを見て、度肝を抜かれて以来、ベック先輩が大好きだった。
あれは浪人時代。
オレは「ルーザー」と胸に大きく書かれたTシャツを雑誌か街中かで見かけ、欲しくて欲しくてたまらなかった。
どうも見つからないため、自分で作ろうとしたところ、母親に「お願いだからやめて」と止められた。
浪人している息子が「負け犬」と胸に書かれたTシャツを着るのはやっぱり悲しかったようだ。

そろそろお風呂に入り、その後、筋トレをしなくてはいけない。
中国で生きぬくためには筋肉が必要と考え、近頃、筋トレをしている。
信じた道をあるくだけだ。
たまに信じない道も歩いたりするだけだ。
良い所にたどり着いて欲しいと願うだけだ。

「ハウルの動く城」を見た。
なぜかDVDになって1、2ヶ月前から発売されている。
キムタクの声がすごく良かった。
ベックの新作を聞いたときと同じ気持ちになった。
なんだか気持ちよかった。

uematsu

投稿者 hospital : 23:07

トラボルタ監督がいた日曜日(後編)

ネットで思い出話ばかり書くなんて、まったくどうかしてると思う。
でも大目にみてほしいな。
最近の俺は、ちょっと疲れていて、何かとセンチメンタルになりすぎるきらいがあるんだ。いつもぼんやり、思い出の中で生きるような、そんなかんじさ。

今日なんかスターバックスでぼおっとしてたら、棚に置いてあった売り物のコップをうっかり落として壊してしまったし、ランドリーでは店員に間違えられ、それを否定せぬまま対応してトンチンカンなこと教えてしまったし、ピザ屋ではうっかり一切れ5ドルもするピザを注文してしまったよ。
まったくこれじゃあいけないね。気合をいれないと。
うっし。気合がでる呪文。ウンタマギルー!

さて、以下、昨日の回想の続きです。

俺たちのチームはひどく弱かった。
それもそのはず、他校のチームが土曜日と日曜日にも練習するのに、強いところは平日の放課後も練習にあてているというのに、俺たちのチームの練習は日曜の午前中だけ。トラボルタ監督のはからいで、四年生は丸刈りにする必要もなかったし、くだらない精神論で無茶な練習を強いられることもなかった。勝つことに対して、意識の低いチームであった。
それから、「野球はピッチャー」というように、俺たちのチームが弱かったのは、ピッチャーのタカアキがあまりにまずかったということもある。タカアキは球も遅いしコントロールもよくなかった。キャッチャーの奥村くんのほうがずっと速い球を投げることが出来たし、サウスポーだからという理由なら、ファーストの久野っちもサウスポーであり、タカアキよりずっといい球を投げられるはずだった。しかし、エースはタカアキであり、先発はいつもタカアキと決まっていた。
子供ながらにそれはおかしな気がしていた。

コールド負けなんてしょっちゅうあった。タカアキはよく打たれたし俺たち守備もエラーの連発だし打線は貧弱。大会ではいつも一回戦負けだった。
俺たちがどんなに惨めな負け方をしても、トラボルタ監督は決して怒ったりはしなかった。いつもニコニコして、試合が終わった後はきまって「楽しかったか?」と俺たちにきいた。
ボロボロに負けて楽しいはずがなく、俺たちは答えに窮した。
トラボルタ監督は続けてこう言った。
「楽しければそれでいいんだ。勝っても負けても。ただ、負けて楽しくないというのならもっと強くならなければいけない。明日から頑張ろう」
そうに言って、持参したクーラーボックスからよく冷えたつぶつぶオレンジジュースを出して俺たちひとりひとりに配った。
そんなトラボルタ監督が俺は大好きだった。

ある日のことだった。
母親が肝臓を患って入院したため、父と兄と俺とで病院に見舞いに行く途中のこと。
腹が減ったと兄がうるさくいうので、たまたま通りかかった国道沿いのトンカツ屋に寄って昼食をとることと相成った。
店のドアが開けて、まず驚いたのは、そこにエプロン姿のタカアキの母親がいたこと。
タカアキの母親は俺たちの試合にいつも観戦にやって来るので、俺とは面識があった。細面の綺麗な人だった。
「あら、ユージン君じゃない」タカアキの母親がいう。
「あ、おばさん、こんにちは」
「ちょっとまってね、いまタカアキ呼んであげる」そう言ってタカアキの母親は内線電話でどこかに電話する。
それから、俺の父親とタカアキの母親が大人なかんじの挨拶をしているころ、タカアキが店の奥からあらわれた。
「おーい、ユージン君」
「おっす、タカアキ。おまえんちトンカツ屋やってるなんて知らなかったよ」俺はそう言う。
へへへとタカアキが笑う。
「ねえ、ユージン君、ご飯食べたら僕の部屋おいでよ。一緒にファミスタやろうぜ」
「ごめん、ご飯食べたら、お母さんのお見舞いに行かなきゃいけないんだ」
「そっかあ、じゃあまた今度だね」
「そうだね・・・あ!」
そんな会話の折、俺の視界に飛び込んだのは、厨房の中で白衣を着てニコニコ顔で俺をみつめるトラボルタ監督だった。
目があうや、トラボルタ監督が俺に手を振る。不思議そうにそれをみていると、タカアキが俺にいう。
「トラさんさ、うちで働いてるんだ」
そう聞いて、タカアキがピッチャーを任される理由に気がつくほどの頭は当時の純情な俺にはなく、ただトラボルタ監督がタカアキの家の従業員であるということと、タカアキがトラボルタ監督のことを気やすくトラさんなんて呼ぶのに驚いてしまった。
トラボルタ監督がタオルで手を拭きながら厨房から出てくる。
「監督、こんにちは」父親の手前もあって俺は礼儀正しくぺこりと頭を下げて挨拶をする。
「やあ、ユージン君、こんにちは。今日は家族で外食かい、いいね」と相変わらずのやさしげな声でいう。
グランド以外の場所でトラボルタ監督に会うのは、なんだか変なかんじがして、尻がこそばゆくなる。
それからトラボルタ監督は父親と兄に握手を求めて挨拶し、坊主頭の兄が中学で野球部に所属しているとかぎつけるや、
「それじゃあ、今日はトンカツをたくさん食べて、体力をつけないといけないなあ」と言って豪快に笑う。
「お父さんにたくさん美味しいもの食べさせてもらって、ワンちゃんや金ヤンみたいに大きくならないとダメだぞ」とも言う。
「いやあ、僕の安月給じゃ心配だなあ」と父親も笑いながら言ったりする。
そのとき、厨房からぬっと男が顔を出して大きな怒声をあげる。
「おい、トラ!そんなところでなに油売ってやがる。まだ鍋洗いおわってねえだろ!」
頑固そうな男。その男の顔がタカアキにそっくりであることから、男がタカアキの父親であり、この店の主人であることは容易に想像がつく。。
「へい、すいやせん。今いきやす」そういってペコペコ頭を下げながらに厨房へ戻っていくトラボルタ監督。
今まで知らなかったトラボルタ監督の生活を垣間見た日であった。

それから俺のトラボルタ監督を見る目に何か異変があったかというと、
さらさらそういうことはなかった。
トラボルタ監督は俺にとっていつまでも素敵な人であり続けた。
そして、毎日トラボルタ監督に会えるタカアキに対して嫉妬の感情すら抱いていた。
タカアキはトラボルタ監督に関するいろんなことを知っていた。
「トラさんさ、むかし映画俳優だったんだぜ」
まるで自分のことのように自慢げに話すタカアキに、
冷たく「あっそ」と答えて蹴りをいれてしまったときのことを、
今もなお後悔の念とともに思い出す。

冬が近づくある日のこと、トラボルタ監督は突然に姿を消した。
日曜日の練習時間になっても、トラボルタ監督はグランドにあらわれなかった。
代わりに、6年生のチームの副監督が急遽俺たちの指導にあたった。
妙に威張った嫌なやつであり、結局、こいつがその後俺たちの監督となった。
それから、トラボルタ監督がいなくなった日を同じくして、タカアキは練習にこなくなり、そしてそのままチームをやめてしまった。
それだけじゃない。タカアキはどうにも暗い性格になり、いつもだらしなく薄汚れた服で学校に来るようになった。
そんなとき、クラスのおしゃべりな女子が「タカアキのお母さんが店の従業員と駆け落ちした」という話を得意げ吹聴するのを聞いた。

監督が代わり、練習時間も増え、その内容もずっと厳しいものになったせいで、俺たちのチームはどんどん強くなっていった。
タカアキの代わりにピッチャーとなった奥村君は市内ナンバーワンピッチャーとして他チームから恐れられた。
そして、俺はというと、新しい監督によって無理に直されたバッティングフォームのせいで、ぜんぜん打てなくなり、気がついたら打順は9番まで下がっていた。
大きな大会を目前に俺はチームをやめた。転校することになったからだ。
以来、高校生になるまで、あの街の土を踏むことはなかった。

高校生になった俺は再びあの街に足しげく通うことになった。
進学した高校が、たまたま当時通った小学校のすぐそばであったというだけだ。
そのころ、もうすっかり学生スポーツの不条理な全体至上主義に嫌気がさしていた俺は、高校では映画研究部なんぞに所属し、暇な時間はもっぱら小説を読んで過ごすという典型的GEEKな日々を送っていた。
そんなある日のこと。
友人と授業をさぼって屋上で煙草をふかしながら、ぴあ東海版をみていた際、
目に飛び込んだひとつの記事に俺は「あっ」と声をあげた。
それは公開予定の映画紹介記事であり、その映画のタイトルを「パルプフィクション」といった。キャストの中に「ジョン・トラボルタ」の文字。添えられた写真の中で、髪を長く伸ばしたトラボルタ監督がユマ・サーマンと踊っていた。

その日の帰り道、俺はタカアキの家のトンカツ屋を訪ねた。
しかし、記憶をたどって着いた先に、あのトンカツ屋はなく、
そこにあったは、近くの大型スーパーの駐車場を示す看板と、舗装されたアスファルトの上に並ぶいくつもの自動車だけだった。

銀幕やブラウン管の中で、ジョン・トラボルタを見るたびに思い出す。
俺とトラボルタ監督が過ごした日曜日の朝のこと。タカアキのこと。
そして、タカアキのお母さんのことを。
二人の関係が今はもう続いていないことなど、タブロイド誌でみるトラボルタ一家の幸せそうな写真をみれば、一目瞭然なのであるが。

以上が俺とジョン・トラボルタをめぐる思い出話だ。
今回はなんだかしんみりしてしまったね。
でもね、これでみんなもわかったと思う。
トラボルタのあのすこし陰のある笑顔のわけを。
あの鋭い中に慈悲を含む眼差しのわけを。
あの全ての憂鬱と倦怠を払拭するよなダンスのわけを。
つまり、セクシーは、暗い過去を背負った男に与えられた、特権であるってことだね。
それじゃあまた。See ya 'round, my friends.

yujing

投稿者 hospital : 08:51

2005年04月22日

トラボルタ監督がいた日曜日(前編)

あたたか~い日が続く。
Tシャツ姿で過ごすようになって気がついた。
どうやら俺はまた太ったようだ。

ダイエットをしていたはずなのに、いつのまにか忘れていた。
朝食に甘いフレンチトーストばかり食べていたのがいけなかったか。
固めるテンプルがおもしろくって、揚げ物ばかり作って食べていたのもまずかったかもしれない。
太った。ああ、太ったさ。
どんどん醜くなってきている。
ああ、これではますますモテなくなっちまう、と頭を抱えていた今日この頃、
友人に借りたDVDでフランソワ・オゾンの「まぼろし」をみた。

それは、太っていてもこんなに愛されるんですよ、ということを俺に教えてくれる素敵な映画だった。
完全に見方を間違えているかもしれない。映画好きに怒られるかもしれない。
でも、とにかく勇気がでた。素晴らしい映画でした。

テレビでパルプフィクションをみた。またみた。何度もみているが、みるたびに新しい発見がある。
それでもって、みるたびにいつも感心するのは、ジョン・トラボルタのセクシーさ加減のことだ。
トラボルタは太っている。俺と同じがっちりとした太り方。それでいて俺と違うのは、やつがあまりにセクシーであるということ。
何気ない仕草、洗練された語り口調、もう!もう!セクシーに満ち溢れている。
鬼だね、あいつは。セクシーの鬼。
しかもしかも、踊る。最高にかっこよく踊る。
もうね、鬼通り越して閻魔様だね。セクシーの閻魔様。
うへー。まいったねこりゃ。

ジョン・ベルーシやブラック・フランシスなんかもね、デブのくせにカッコいいですよ。
でもやっぱりトラボルタと比べたら、ヤツラは醜い太り方をしている。
セクシー度数が段違いな。

さて、ところで、みなさんは、パルプフィクションの以前のトラボルタのことをご存知でしょうか。
サタデーナイトフィーバーやグリースで一世を風靡した後で落ち目となり、パルプフィクションで再起をかけるまでのトラボルタを。

俺は知っている。とてもよく。
なぜならトラボルタはかつて俺が暮らした街にいて、ある時期の日曜日はいつも俺と同じ場所にいたから。
そして、そのとき俺にとってのトラボルタは、世界的有名俳優トラボルタではなく、トラボルタ監督であった。
いや、はやとちりしてもらっては困る。監督といっても映画の監督じゃない。
当時トラボルタは、俺が所属する少年野球チームの監督をしていたんだ。

以下、回想。

父親の転勤を機に、田舎の小学校から、ちょっぴり街のマンモス小学校に転校したのは四年生のときだった。
兄が小学校時代、全国大会に出場するほどの強豪少年野球チームに所属していたためか、俺もまた両親のすすめで少年野球をはじめることになった。当時、喘息もちで痩せっぽちだった俺がすこしでもたくましくなるように、という魂胆もあったのかもしれない。
そこで出会ったのがトラボルタ監督だった。
練習初日はよく晴れた日曜日だった。
「よくきたね」そう言ってトラボルタ監督は俺に握手と求め、
それから、月謝袋をもって付き添いにやって来た俺の母親に気障なウィンクをした。
頬を赤く染めた母親が「ずいぶん、ハンサムな監督さんね」と俺に耳打ちしたのを今もありありと思い出される。

ほとんどの子供たちが3年生から入部してすでにそこそこのグローブさばきを身に着けている中で、ほぼ素人に近かった俺ではあったが、元来の器用さと幼少より野球狂の兄のキャッチボールの相手をしていたせか、守備がうまいと褒められ、いきなりショートのレギュラーポジションを獲得した。
背番号は3。ショートなのに。というのは、背番号を配るとき、トラボルタ監督は俺たちに好きなのを持っていきなさいと言ったからだ。
当時、ルーキーで正ショートを任された中日ドラゴンズの立浪にあこがれていた俺は迷いなく3番を選んだ。
それをみたトラボルタ監督は「お、チョーさんだな」と言った。
トラボルタ監督は巨人ファンだった。

バッティングのほうはあまりぱっとしなかった。
もともと基本が出来てないせいか、俺のバッティングフォームは独特のものがあって、それをみるたびに
「ハリモトみたいな打ち方だなー。かっこいいぞ」とトラボルタ監督は言った。
一度だけトラボルタ監督に正しいバッティングフォームを教わったことがあったが、そうすると俺の打球がてんで力をなくしてしまうことに気がついたトラボルタ監督は、「きみはきみの好きな打ち方で打ちなさい」といって、それ以上口を挟むことはなかった。
俺の打順は7番だった。

トラボルタ監督は俺たちのことを「きみ」とか「きみたち」と呼んだ。
決して、「おまえ」とか「おまえら」とは言わなかった。
呼び捨てにするなんてことも絶対無かった。
いつも穏やかで、笑顔をたやさなかった。
子供である俺たちにさえ、いつも敬意を持って接してくれた。
トラボルタ監督は俺がはじめて会った素敵な大人だった。
(明日につづく…)

yujing

投稿者 hospital : 16:11

2005年04月21日

ベック先輩との思い出

深夜の有名なお笑い番組にベック先輩が出てきて歌をうたっていらした。
ベック先輩はあいかわらず痩せていた。(でもちょっと老けたかな)
俺の中でベック先輩はいつだってベック先輩だ。
先輩なんだ。そう呼びたいんだ。それは植松くんにとってのジョッシュ先輩と一緒だろう。
俺はベック先輩をすごく尊敬している。すごく親しみを抱いている。それもそのはず。俺はかつて、ベック先輩と同じときを過ごし同じ空気を吸っていたのだから。

以下、回想。

田舎道をハンドルがカマキリ型になった自転車で走るセミ短にボンタン姿の俺。
古い一軒家の前に自転車を停める。門をぬけて中に入ると庭にコンバインが鎮座ましましている。ローソンの袋をぶらさげて、家屋とは離れになったプレハブ小屋のドアを開ける。「ちわあっす」
「おーっす」そこにベック先輩がいる。
寝転がったままマガジンを読んでいたベック先輩がむくりと起き上がる。
ベック先輩はタックが三つはいった膨らみ具合がハンパない上に、裾がキュっとしまったほとんどニッカボッカ状態のボンタンを履いていて、上にはでっかくMr.JUNKOと書かれたスウェットを着ている。ボンタンの真後ろはもちろん×型のベルト通しであり、Vの字の切込みがはいっているんである。
壁にはベック先輩のシンボルであるボタンが4つしかない短ランがかかっている。その内側は紫色の玉虫生地であり、ボタンはいぶし銀加工であり、さらにいうと裏ボタンはひとつひとつに龍の絵が描いてありそれぞれがチェーンで繋がっている。
「なんか飲み物買ってきたか?」
そうベック先輩がいうので、俺はローソンの袋からはちみつレモンを取り出して渡す。それからコンソメ味のポテトチップスやチョコバットなんかをごそごそと出す。
ベック先輩が不服そうに俺を睨んでいるのに気がつく。
「どうしたんすか、ベック先輩」
「どうしたじゃねえよ、おめえ、俺は午後ティーのミルクしか飲まねえのしってんだろ」
「あ、すんません、間違えました。すぐ買いに行ってきます」
あわてて俺は外に出ようとする。
「おい、まてよ」
「え?」
「いいよ、はちみつレモンで。ったく、つかえねーな、おめえは」
こんなふうに言われても、俺は別に傷つかない。なぜなら、怒るというのは親愛の情をあらわしているのであり、むしろ俺にとってはなんだか嬉しいことですらあるのだ。
はちみつレモンを一息にごくごく飲んだベック先輩は「ふう。たまに飲むとうまいな」と言う。いよいよ俺は嬉しくなる。
それからベック先輩はおもむろに愛煙している赤ラークを一本取り出し口にくわえる。
ジッポの蓋をカチャリと開けて火をつける。
同時に宙を漂うオイルの匂いは、いまでも俺が好きな匂いのひとつだ。
俺もポケットからセブンスターを取り出して吸う。
こないだまでハイライトを吸っていたけど、ベック先輩がハイライトは匂いがむかつくというので、セッタに変えた。
しばしふたり無言で煙草を吸う。飲み残しのチェリオの瓶が灰皿がわり。
思い出したようにベック先輩が口を開く。
「なあ、ユージン。おめえ、ソニックユースって知ってるか?」
「いや、知らねえっす。なんすかそれ」
「バンドだよ。洋楽だよ。ったく、おめえは何にも知らねーな」
そういってベック先輩が手元のリモコンをいじると、本棚の上に置かれた黒色のCDダブルラジカセ(重低音バズーカ付)から聴いたことのない音楽が流れる。
なんだかよくわからないが、とにかく圧倒された俺は、
「いいっすね。かっけえっすね。まじかっけえっすよこれ」と言う。
ふふふ、と、ベック先輩が嬉しそうに笑う。
「オルタナティヴっつうんだよ、最高だろ」
「はあ、オルタナティヴっすか、いいっすね、なんか、胸がどきどきするっす。ベック先輩、こんな音楽よく知ってますね。マジ、ベック先輩は洋楽詳しいっすね」
ハハハっと乾いた笑いをたてて、ベック先輩がいう。
「こないだダイエーのCD屋で適当にパクった」
「まじっすか。ハハハ」なんとなく俺も乾いた笑い声をたてる。
それから俺たちは黙ってソニックユースを聴く。ベック先輩ははじめのうちは鼻歌まじりにご機嫌な顔で聴いていたが、しだいに退屈そうな眠たそうな顔をみせはじめるので、あわてて俺は頭の中で話題をさがし、口を開く。
「そういや、ベック先輩、もうすぐ受験っすね。勉強しなくていいんすか」
「いいよ、べつに。かったりい」本当にかったるそうなベック先輩は本当にかっこいい。
「ベック先輩、どこのガッコ受けるんすか?」
「北こー」ベック先輩がめんどくさそうに答える。
「え、北高っすか。すごいっすね。頭いいっすね」
「ちげーよ、ばか。工業のほうだよ」
「あ、北工か」
「まあ、受からねえけどよ」
ベック先輩はそんな投げやりなことを言いながらツーブロックの髪をかきあげる。
短く刈り込まれた部分が青々とまぶしい。
「受からなかったら、どうすんすか」おそるおそる俺はきく。
「ん?まー、音楽でもやって食ってくべ」
そういってからベック先輩はCDを止め、部屋の絨毯の上に無造作に置かれていたギターを抱えあげる。通販で買ったという、きいたことのないメーカーのそのアコギのボディには、「天上天下唯我独尊」とマジックで殴り書きしてある。
それから俺はベック先輩のギターをきくはめになる。いつものことだ。
禁じられた遊びからはじまって、ベンチャーズのパイプラインやらをやって、藤井フミヤのトゥルーラブの弾き語りをしたりする。
一通り終えた後、ベック先輩は、どうだ、といわんばかりの顔で俺をみる。
「かっけえっす。ベック先輩まじ尊敬するっす」俺はいつもそう答える。
そのうちベック先輩の彼女の光江さんがやって来る。光江さんは校内一短いスカートをはいて前髪だけオキシドールで脱色している、とてもオシャレな人だ。
三人で談笑。もっとも、ふたりが俺をいじめて楽しむというのがその主な内容なんだけど。
「ユージン、おめえ、センズリばっかしてんだろ、なあ、おい」
「いやあ、そんなことないっすよ」
「いえよ、てめえ、キャメルクラッチかけるぞ、こら」
「うわあ、やめてくださいよ、ベック先輩」
ベック先輩が俺の背に馬乗りになる。キャハハハっと光江さんが笑う。
「おい、おまえ、ギルガメ大好きだろ、なあ、おい」
「うぐ・・・うぐぐぐ・・・」
キャメルクラッチがもろきまり、俺はベック先輩の質問に答えるどころか、息が出来なくてもがき苦しむ。

ふたりの口数が減り、ベック先輩と光江さんが俺を疎ましいような目で見始めるのをきっかけに、俺はうちに帰る。
俺がいなくなったあの部屋で何が始まるかはまあ想像がつく。
ベック先輩の部屋のパイプベッドのことや、ベック先輩のあばら骨が浮かび上がるほど華奢な裸体のことや、光江さんのぽっちゃりした白い太ももや柔らかそうな胸元のことなんかを考えながら再び自転車にまたがって帰路に着く俺なのであった。

その年、ベック先輩は高校受験に不合格どころか、寝坊して受けることすらしなかった。そして、前言どおり、音楽で食っていくと言い残し、ギター一本だけをもってこの街を去った。

それから二年後、俺が奇跡的に合格した進学校でとっぽい連中に囲まれながら、ピタピタの古着Tシャツを着てみたり、ジーンズの色落ち具合に凝ったりしているころ、たまたま本屋で立ち読みしたロッキンオンでベック先輩のその後を知った。
アメリカに渡りすっかり白人化したベック先輩は念願かなって歌手デビューをはたしていた。もちろん、俺はその足で「メロウゴールド」を買いに走ったわけであり、いまでもそれは俺の愛聴するところのものとなっているわけである。

みなさんはベック先輩の6枚目のアルバムはもう買ったかな。
俺はまだです。なんだかまだ決心がつかなくって。だってほら、これまでアルバムが出るたびに、ベック先輩が遠い人になっていくような気がしてて。なんか俺、そういうの、たまんないんだよなあ。わかるかい?この気持ち。
でもきっと買うよ。うん、きっと。みんなも買おうね。じゃあね。またね。

yujing

投稿者 hospital : 13:16