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2005年04月23日
トラボルタ監督がいた日曜日(後編)
ネットで思い出話ばかり書くなんて、まったくどうかしてると思う。
でも大目にみてほしいな。
最近の俺は、ちょっと疲れていて、何かとセンチメンタルになりすぎるきらいがあるんだ。いつもぼんやり、思い出の中で生きるような、そんなかんじさ。
今日なんかスターバックスでぼおっとしてたら、棚に置いてあった売り物のコップをうっかり落として壊してしまったし、ランドリーでは店員に間違えられ、それを否定せぬまま対応してトンチンカンなこと教えてしまったし、ピザ屋ではうっかり一切れ5ドルもするピザを注文してしまったよ。
まったくこれじゃあいけないね。気合をいれないと。
うっし。気合がでる呪文。ウンタマギルー!
さて、以下、昨日の回想の続きです。
俺たちのチームはひどく弱かった。
それもそのはず、他校のチームが土曜日と日曜日にも練習するのに、強いところは平日の放課後も練習にあてているというのに、俺たちのチームの練習は日曜の午前中だけ。トラボルタ監督のはからいで、四年生は丸刈りにする必要もなかったし、くだらない精神論で無茶な練習を強いられることもなかった。勝つことに対して、意識の低いチームであった。
それから、「野球はピッチャー」というように、俺たちのチームが弱かったのは、ピッチャーのタカアキがあまりにまずかったということもある。タカアキは球も遅いしコントロールもよくなかった。キャッチャーの奥村くんのほうがずっと速い球を投げることが出来たし、サウスポーだからという理由なら、ファーストの久野っちもサウスポーであり、タカアキよりずっといい球を投げられるはずだった。しかし、エースはタカアキであり、先発はいつもタカアキと決まっていた。
子供ながらにそれはおかしな気がしていた。
コールド負けなんてしょっちゅうあった。タカアキはよく打たれたし俺たち守備もエラーの連発だし打線は貧弱。大会ではいつも一回戦負けだった。
俺たちがどんなに惨めな負け方をしても、トラボルタ監督は決して怒ったりはしなかった。いつもニコニコして、試合が終わった後はきまって「楽しかったか?」と俺たちにきいた。
ボロボロに負けて楽しいはずがなく、俺たちは答えに窮した。
トラボルタ監督は続けてこう言った。
「楽しければそれでいいんだ。勝っても負けても。ただ、負けて楽しくないというのならもっと強くならなければいけない。明日から頑張ろう」
そうに言って、持参したクーラーボックスからよく冷えたつぶつぶオレンジジュースを出して俺たちひとりひとりに配った。
そんなトラボルタ監督が俺は大好きだった。
ある日のことだった。
母親が肝臓を患って入院したため、父と兄と俺とで病院に見舞いに行く途中のこと。
腹が減ったと兄がうるさくいうので、たまたま通りかかった国道沿いのトンカツ屋に寄って昼食をとることと相成った。
店のドアが開けて、まず驚いたのは、そこにエプロン姿のタカアキの母親がいたこと。
タカアキの母親は俺たちの試合にいつも観戦にやって来るので、俺とは面識があった。細面の綺麗な人だった。
「あら、ユージン君じゃない」タカアキの母親がいう。
「あ、おばさん、こんにちは」
「ちょっとまってね、いまタカアキ呼んであげる」そう言ってタカアキの母親は内線電話でどこかに電話する。
それから、俺の父親とタカアキの母親が大人なかんじの挨拶をしているころ、タカアキが店の奥からあらわれた。
「おーい、ユージン君」
「おっす、タカアキ。おまえんちトンカツ屋やってるなんて知らなかったよ」俺はそう言う。
へへへとタカアキが笑う。
「ねえ、ユージン君、ご飯食べたら僕の部屋おいでよ。一緒にファミスタやろうぜ」
「ごめん、ご飯食べたら、お母さんのお見舞いに行かなきゃいけないんだ」
「そっかあ、じゃあまた今度だね」
「そうだね・・・あ!」
そんな会話の折、俺の視界に飛び込んだのは、厨房の中で白衣を着てニコニコ顔で俺をみつめるトラボルタ監督だった。
目があうや、トラボルタ監督が俺に手を振る。不思議そうにそれをみていると、タカアキが俺にいう。
「トラさんさ、うちで働いてるんだ」
そう聞いて、タカアキがピッチャーを任される理由に気がつくほどの頭は当時の純情な俺にはなく、ただトラボルタ監督がタカアキの家の従業員であるということと、タカアキがトラボルタ監督のことを気やすくトラさんなんて呼ぶのに驚いてしまった。
トラボルタ監督がタオルで手を拭きながら厨房から出てくる。
「監督、こんにちは」父親の手前もあって俺は礼儀正しくぺこりと頭を下げて挨拶をする。
「やあ、ユージン君、こんにちは。今日は家族で外食かい、いいね」と相変わらずのやさしげな声でいう。
グランド以外の場所でトラボルタ監督に会うのは、なんだか変なかんじがして、尻がこそばゆくなる。
それからトラボルタ監督は父親と兄に握手を求めて挨拶し、坊主頭の兄が中学で野球部に所属しているとかぎつけるや、
「それじゃあ、今日はトンカツをたくさん食べて、体力をつけないといけないなあ」と言って豪快に笑う。
「お父さんにたくさん美味しいもの食べさせてもらって、ワンちゃんや金ヤンみたいに大きくならないとダメだぞ」とも言う。
「いやあ、僕の安月給じゃ心配だなあ」と父親も笑いながら言ったりする。
そのとき、厨房からぬっと男が顔を出して大きな怒声をあげる。
「おい、トラ!そんなところでなに油売ってやがる。まだ鍋洗いおわってねえだろ!」
頑固そうな男。その男の顔がタカアキにそっくりであることから、男がタカアキの父親であり、この店の主人であることは容易に想像がつく。。
「へい、すいやせん。今いきやす」そういってペコペコ頭を下げながらに厨房へ戻っていくトラボルタ監督。
今まで知らなかったトラボルタ監督の生活を垣間見た日であった。
それから俺のトラボルタ監督を見る目に何か異変があったかというと、
さらさらそういうことはなかった。
トラボルタ監督は俺にとっていつまでも素敵な人であり続けた。
そして、毎日トラボルタ監督に会えるタカアキに対して嫉妬の感情すら抱いていた。
タカアキはトラボルタ監督に関するいろんなことを知っていた。
「トラさんさ、むかし映画俳優だったんだぜ」
まるで自分のことのように自慢げに話すタカアキに、
冷たく「あっそ」と答えて蹴りをいれてしまったときのことを、
今もなお後悔の念とともに思い出す。
冬が近づくある日のこと、トラボルタ監督は突然に姿を消した。
日曜日の練習時間になっても、トラボルタ監督はグランドにあらわれなかった。
代わりに、6年生のチームの副監督が急遽俺たちの指導にあたった。
妙に威張った嫌なやつであり、結局、こいつがその後俺たちの監督となった。
それから、トラボルタ監督がいなくなった日を同じくして、タカアキは練習にこなくなり、そしてそのままチームをやめてしまった。
それだけじゃない。タカアキはどうにも暗い性格になり、いつもだらしなく薄汚れた服で学校に来るようになった。
そんなとき、クラスのおしゃべりな女子が「タカアキのお母さんが店の従業員と駆け落ちした」という話を得意げ吹聴するのを聞いた。
監督が代わり、練習時間も増え、その内容もずっと厳しいものになったせいで、俺たちのチームはどんどん強くなっていった。
タカアキの代わりにピッチャーとなった奥村君は市内ナンバーワンピッチャーとして他チームから恐れられた。
そして、俺はというと、新しい監督によって無理に直されたバッティングフォームのせいで、ぜんぜん打てなくなり、気がついたら打順は9番まで下がっていた。
大きな大会を目前に俺はチームをやめた。転校することになったからだ。
以来、高校生になるまで、あの街の土を踏むことはなかった。
高校生になった俺は再びあの街に足しげく通うことになった。
進学した高校が、たまたま当時通った小学校のすぐそばであったというだけだ。
そのころ、もうすっかり学生スポーツの不条理な全体至上主義に嫌気がさしていた俺は、高校では映画研究部なんぞに所属し、暇な時間はもっぱら小説を読んで過ごすという典型的GEEKな日々を送っていた。
そんなある日のこと。
友人と授業をさぼって屋上で煙草をふかしながら、ぴあ東海版をみていた際、
目に飛び込んだひとつの記事に俺は「あっ」と声をあげた。
それは公開予定の映画紹介記事であり、その映画のタイトルを「パルプフィクション」といった。キャストの中に「ジョン・トラボルタ」の文字。添えられた写真の中で、髪を長く伸ばしたトラボルタ監督がユマ・サーマンと踊っていた。
その日の帰り道、俺はタカアキの家のトンカツ屋を訪ねた。
しかし、記憶をたどって着いた先に、あのトンカツ屋はなく、
そこにあったは、近くの大型スーパーの駐車場を示す看板と、舗装されたアスファルトの上に並ぶいくつもの自動車だけだった。
銀幕やブラウン管の中で、ジョン・トラボルタを見るたびに思い出す。
俺とトラボルタ監督が過ごした日曜日の朝のこと。タカアキのこと。
そして、タカアキのお母さんのことを。
二人の関係が今はもう続いていないことなど、タブロイド誌でみるトラボルタ一家の幸せそうな写真をみれば、一目瞭然なのであるが。
以上が俺とジョン・トラボルタをめぐる思い出話だ。
今回はなんだかしんみりしてしまったね。
でもね、これでみんなもわかったと思う。
トラボルタのあのすこし陰のある笑顔のわけを。
あの鋭い中に慈悲を含む眼差しのわけを。
あの全ての憂鬱と倦怠を払拭するよなダンスのわけを。
つまり、セクシーは、暗い過去を背負った男に与えられた、特権であるってことだね。
それじゃあまた。See ya 'round, my friends.
yujing
投稿者 hospital : 2005年04月23日 08:51
