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2005年07月05日

日記とはこうあるべきだを考察する

「いやあ、生まれつき筋肉質なんですよ」

最近の口癖である。

いよいよ大変なことになっているのでここでは真剣に語っていきたいと思っている。

まず、考え方を変えた。
思い入れが深いと、それと反比例して結果がでる。
そうゆう経験則がいつの間にか僕の中でできている。
あまり気張ってしまうと大した結果がでないのである。

「よ~し」

こんな具合に気合いをいれてやって、そのことが上首尾に運んだ試しがない。

「よ~し」
である。
「~」
の時点で、駄目なのだ。
大切なのはさりげなさであり、かといって、「よ~し、さりげなくなるぞ」では、うまくいかないのだ。
必要なのは、「いつのまにか、こんなんなってました」くらいのいさぎよさなのだ。

「最近仕事が忙しくて5時間しか寝てないので、微妙です」

などといって、友人からの誘いを断るようでは駄目なのである。

たとえ2時間しか寝ていなくて、本当に苦しくて今にも死んでしまいそうでも。
「いくっす」
でいいじゃないか。
そうゆう人間的な幅を持つべきだと思うのだ。

結果、携帯電話が不通で、行かなくてもいいのだ。


話がそれた。

何も考えずにプールに行くことにしている。


プールというやつは不思議で仕方がない。
やせることしか考えていない有閑マダムか、健康のことばかり考えているちょっとあれな人か、
筋肉馬鹿しかいないのである。

友人に「異常だ」と僕は言われた。
最近仕事で知り合った人にも「異質」と言われた。
「血液型はAB」
というと、
「あ~」
という返事が返ってくる。


窮屈である。
腕と、胸の間、つまり脇が窮屈である。
鍛えすぎて窮屈なのだ。

最近は余裕を作ろうと思えば余裕を作れる。
けれど、余裕というのは不安というのと同意だ。
走り続けてしまう、悲しい人間である。

あまり深く考えず、頑張ろうと思う。

全然表題と関係の無いことを書いてしまった。

miyamoto

投稿者 hospital : 2005年07月05日 21:58