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2005年07月10日

前向きに生きよう、白骨に行こう。

海抜1400メートル。
中央道、長野県は松本I.Cから車で1時間ほど。
いくつもの隧道や洞門を抜け、山奥の奥の奥に、その温泉場はある。

土曜日を利用して、僕は母を連れて、白骨温泉を訪れた。
日本5大秘湯として名高い、その温泉に行く道すがらに自生している白樺は、その「白骨」という不気味な情緒を一層醸し出す。
窓をあければ下界と異なるその外気が、旅情を涼やかに演出する。

あいにくの雨がその白骨の町並みをしっとりと彩っている。
町並みと言っても温泉宿が10棟程度、軒を並べるだけで、大手資本の入り込めない山奥まで来てしまったのだという情感を一層強める。
「えびすや」という老舗の旅館の玄関をくぐると無愛想なおやじが一人「いらっしゃいませ」と私たちを出迎える。
建物の木材に染みついた硫黄の臭いは、長年の温泉宿としての歴史を物語るものだろう。

旅の目的は、休息である。
3年間の歳月を私たち母子は裁判に費やした。
いつやむともしれぬその神経戦に、ただただ私たちは翻弄され傷つき疲れた。
裁判というのは一般にはなかなかなじみの無い物であるが、私たち母子の歴史は、裁判の歴史そのものといえる。
友人の何人かには、その苦労を聞いて貰ったこともあるが、やっとそれらの裁判が終焉を迎えたのだ。

疲れ切った。

まずは大浴場で旅塵を落とす。
白骨たる所以、白い温泉を楽しむのだ。
なめらかな白い湯が私の鍛え抜かれた肉体を優しく包み込む。
私の白い胸板と、白骨の白いお湯。

今、最も必要を感じるのは日焼けサロンに通うことである。
白骨温泉に来る際に、白と黒のコントラストに湯治客の目は奪われるのではないだろうかという空想であるが、この話題に関してはまた別の機会に触れたいと思う。

浴場には私以外に父子が一組いるだけだ。
父親はスキンヘッドで小説家の華村萬月に激似だった。
「いつも楽しみに読んでますっす。また、『笑う山崎』みたいな作品書いてくださいっす」
と声をかけようと思ったがためらわれた。
疲れていたのかもしれない。

夕飯を食べ、温泉の醍醐味マッサージをうけ終えると、闇に沈んだ露天風呂に再び私の白い肉体が浮かび上がった。

鍛えすぎた私が悪かったのかもしれない。
落ち着いて今考えればそう思う。
しかし、その時はあまりの衝撃に我を忘れてしまった。

外は雨のため、傘を頭に被った白い彫刻が浴場を通り過ぎ露天風呂へ出た。
その時若い男が一人髪の毛を洗浄しているのを見たが、私はガラスに映る自分の肉体に夢中だったため、さほど注意をそがれなかった。
うっとりしながら露天風呂に肩まで沈んだ。

確か、先ほど髪の毛を洗っていた若い男が露天風呂に入ってきたのを覚えている。
「どこからきたんですか?」
なんてありきたりな話題から始まったように覚えている。
白骨温泉が山奥にあり、その山奥だからこその情感がすばらしいなんてことについて、その男は添乗員をやっているということ、白骨温泉は以前ニュースで偽物温泉疑惑のため叩かれていたこと、私は母を連れて二人出来ていること、体を鍛えることがお互いの趣味であること・・・・、

話すごとに彼は近づいてくるのだった。
「ぴと」
こんな擬音語が非常に似つかわしく、彼の足先が私の足先に触れた。
さりげなくのびをするかのように、私は足を引っ込めた。
「さりげなさ」の銃弾が飛び交っているかのようだった。

さりげなく、私の隣に座り直す。
さりげなく、距離をあける。

まわりは真っ暗闇で、「くらいですねぇ」なんてさりげなくかたる。

さりげなく、誰も人がいないのだ。
さりげなく、ひとっこひとりいないのだ。

さりげなく、彼の足先が私の太股に触れる。
さりげなく、足を組んでそれを避ける。

「て、添乗員さんて、」
「はい?」

その間がもたなさに、とうとう絶えきれず口を開いた私は、

「添乗員さんて、優秀な人が多いんですよね」

なぜか、こびを売ったような一言を吐いていた。

「そんなことないっすよ、人それぞれですよぉー」

そして、ずずっと隣に座った。

「裁判も終わったことだし、まっいっか」

そんな軽やかな男だったらと思うこともある。

私は傘をはずし、雨の降ってくる真っ暗闇の空を見上げた。
晴れていて星が見えたとしたら、とても澄み切った空気だし、本当に本当に綺麗なんだろうな。
日本アルプス。
星に一番近い場所。
長く辛い時代は終わった。
私の肉体は、本当に美しい。
私の未来は輝いている。

miyamoto

投稿者 hospital : 2005年07月10日 20:53