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2005年11月21日
また旅。
また旅をしてきた。
18世紀に建てられたオランダ移民の家をみてきた。
またである。またしてもなんである。
最近の俺は完全に古い家マニア。
どうかしてる。
今度はブロンクス。
家から1時間の場所。
駅を降りると、大きな公園があった。
公園っていうか、森があった。
その森の中をひとり歩いた。
紅葉がクソきれいだった。
落ち葉の絨毯の上を歩いた。
がさごそとクソうるさかった。
カラスがいた。
すげえたくさんのカラスが木に止まっていた。
マンハッタンにカラスはいない。
少し嬉しくなった。
子供のころよく読んだ絵本のことを思い出した。
カラスの兄弟のパン屋さんの話。
内容は全然思い出せないが、
描かれたパンがたいそう美味しそうだったのは覚えている。
それを、すごくすごく食べたかったってことも。
でもさ、今思うとさ、
カラスの作ったパンなんて食べたかたいよね。
子供のころはすごく憧れたけどさ。
きたないよ。美味そうなわけないよ。
食べないよ、今の俺はそんなもの。
愚かだね、子供は。本当に。
そんなことを考えているうちに道に迷った。
俺は、この冬はじめてのニット帽の下で、
薄ら汗をかいていた。
途中、案内看板の地図をみると、
まったく逆方向に進んでいることが判明した。
急いで戻った。森の中を走った。
閉館時間が迫っていた。
受付にはおばはんが一人いた。
5ドルを要求された。
支払いを済ます。
レシートをもらう。
それから、おばはんは俺に、学生かときいた。
そうだと答えると、早く言えと叱られた。
5ドルが3ドルになった。
今回はガイドがなかった。
かわりに、ぺろっぺろのきたねえ手作りガイドブックを渡された。
見終わったら返すようにと言われた。
それを眺めながら、部屋をまわった。
客は俺だけ。とても静かだった。
3階建ての広くて良い家だった。
家具がかやけにわいかった。
オレンジとブルーに塗られたすごくポップな食器棚があった。
その色の組み合わせから、
ははん、さては、家主はヤンキースでなく、メッツファンだな。
あるいは、NBAのニックスファン。
さすがブロンクス。さすがニューヨーク。
などというノータリンなことは決して思わなかった。
なにせ18世紀である。
野球もバスケもなかった時代。
ジョーダンもオニールもクロマティもブーマーいなかった時代。
黒人のスター選手なんているわけがなかった時代。
黒人たちは、奴隷制の中で生きていた。
そんな時代が、かつてあった。
非道な人身売買の末に、生まれた土地を離れ、
無理矢理この地に連れられてきた黒人たち。
主人のムチに怯えながら、綿花畑でせっせと働き、
粗末な飯を食い、質素な部屋で暮らしていた。
そんな日々の悲哀を黒人たちは歌に託した。
DJが作り出すご機嫌なブレイクビーツに乗せて、
語りかけるように、彼らは歌った。
ライムを踏み、思いのたけをリリックにこめた。
暗喩的に白人をディスることで、日々の鬱憤を晴らした。
寒い冬の夜には、ブレイクダンスをまじえて暖をとることもあった。
それをみつけたカーペンターズとサイモン&ガーファンクル好きの野暮な白人領主に
騒がしいとムチで打たれることもあった。
隙間風漏れる、奴隷部屋の殺風景な壁には、
色とりどりのスプレーで思い思いの夢を描いた。
それをみつけたラッセンとヒロ・ヤマガタ好きの野暮な白人領主に
落書きするなとムチで打たれることもあった。
それでも彼らはめげなかった。
迫害と抑圧の中で、自分たちの文化を築こうとしていた。
そんなふうにして、ここブロンクスで、
ヒップホップカルチャーは誕生したのだった。
ガイドブックを返却し、
建物を出たあと、俺は裏庭を見学した。
柵にこそ囲まれてはいるものの、
周囲とまるで変わらない単なる原っぱだった。
つまんなかった。
さて、そろそろ引き上げるかと、
遠くにある門を眺めると、
おばはんが門を閉め、鍵をかけようとしていた。
久しぶりに大声をだした。
おーい、まだいますよー。
おばちゃーん、こっちこっちー。
走りながら俺は必死で叫んだ。
閉じ込められちまう。
おばはん、全然気がつきゃしなかった。
冬の透き通った空に、
俺の慌て声が虚しく吸い込まれていくだけだった。
ぜーぜーいいながら門までたどり着き、
どこかへ行こうとするおばちゃんを捕まえて、鍵を開けてもらった。
何してんのよ、もう閉館時間とっくに過ぎてるんだかんね、と、
また叱られた。
それからしばし、森を散策した。
何もなかった。つまんなかった。
家に帰り、豚肉の甘辛味噌焼きを作って食べた。
おいしかった。
そんな、土曜の午後だった。
yujing
投稿者 hospital : 2005年11月21日 13:50
