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2006年10月14日

50セントの残酷な午後4

5セントコイン、5ドル札、50ドル札はあるのに、
なぜ50セント玉は存在しないのか。
子供の頃から50セントは、いつも不思議に思っていた。
スーパーで母の買い物を待つ間、
クオーター(25セント)を2枚握り締め、
一回50セントのGATYAGATYAに向かうとき。
寒い冬の日に、
小銭をじゃらじゃらとデリのレジテーブルに並べながら
砂糖とミルクがうんと入った一杯50セントのコーヒーを買い求めるとき。
腹ペコのピザ屋で、
ポケットに入ったなけなしの小銭を数えながら、
ペニー(1セント)一枚一枚まで数えながら、
ひとつ50セントのガーリックブレッドを買い求めるとき。

ある日の夕食時、
50セントは姉に尋ねた。
「なぜ50セントコインは存在しないの?」
「あら、50セントコインもあるのよ。なかなかお目にかかれないだけで」
「うそだ。僕一度もみたことないよ。絶対うそだ」

姉にはしょっちゅう騙されていた。
曰く、タクシー運転手に中東人が多いのは、石油の消費に貢献するためで、アッパーイーストで一人暮らしをする若いブロンドは高級娼婦と相場が決まっていて、イーストビレッジに並ぶインド料理レストランは全て裏で厨房が繋がっているため、どの店に入っても味が一緒…。

そんな他愛のない冗談ばかりであったが、
50セントはいつだって真に受け、
姉に笑われるのが常であった。

「もう。また僕を騙そうとしてるんでしょ」
「うそじゃないわよ」
「うそだよ。50セントコインなんてみたことないもの」
「本当だって言ってるでしょ。わたしはみたことあるんだから」
そう言って姉が50セントの頬つねる。
「これこれ、やめなさい」
出来立てのチリビーンズのスープを鍋ごとテーブルの上に置きながら、母が二人をたしなめる。

姉と母が死んだ15歳のときを境に、
50セントは一人で生きてきた。
長い闘病生活の末に残った母の貯金はあまりにわずかで、
50セントはハイスクールには進まず、
肉体労働で日々の生活費を稼いだ。
工事現場の資材運び、港の沖仲士、引越しの荷物運び。
元々筋肉質だった体は日に日にたくましくなり、
気がつけばボディビルダーさながらの肉体美を手に入れていた。
近所の不良たちからドラッグの売人をやらないかと誘われもしたが、姉の死のことを考えるとそんな気にはなれなかった。

稼ぎは多いとはいえなかったが、
扶養する家族もないので、
生活はそれほど苦ではなかった。
昼は肉体労働をして、
夜はのんびり本を読んだりビデオをみる。
そんな生活。

時折、自分の将来に不安を抱くこともあった。
こんなことを死ぬまで続けるのだろうか。
労働から帰宅し、汗をたっぷり吸い込んだシャツを脱ぎ捨て、
埃まみれのワーキングブーツを部屋の隅に蹴りやるとき、
そんなふうに思ったりもした。

そんなある日、50セントは啓示を受けた。

職場での休憩時間。
トラックのタイヤを背にチャイニーズの
フライドチキン&フレンチフライを食べていたときのこと。
トラックの荷台から崩れ落ちた材木が、
50セントの頭を直撃した。

激痛とともに目の前が暗くなり、
意識を失い地面に倒れこむ。
そして、目が覚めるまでに、
奇妙な短い夢をみた。

夢の中で、粗末な木綿服を着た三人の黒人が、
50セントに語りかけた。

ひとりが言った。
「ヒップホップをはじめなさい」
もうひとりが言った。
「君には才能がある。類まれなる才能が」
そして、最後のひとりが言った。
「ヒップホップを救えるのは君しかいない」

それまでの人生で、
ヒップホップについて意識したことがなかったわけではない。
ヒップホップが若者に絶大な人気を誇ること、
ヒップホップが莫大な金を生み出すこと、
ヒップホップが限られた成功のための近道であることを
50セントは知っていた。
実際に、近所の若者たちのが多くが、
10thグレードを終えたくらいの歳になれば、
ヒップホップスターを夢見てラップの真似事をはじめ、
どこからか手に入れた金でターンテーブルやミキサーを買い、
レコードの万引きに精を出すのを50セントは知っていた。
マンチェスターやリヴァプールの労働者階級の若者たちが、
サッカーボールをクローゼットの奥に押し込み、
楽器を手にバンドを始めることで、
新しい未来への可能性に思いを馳せるように、
その街の若い黒人たちも、
アメリカンフットボールやバスケットボールへの情熱を捨て、
ヒップホップに華々しい未来を託そうとしていたのだ。

僕には関係ないよ。今の暮らしでじゅうぶんさ。

そんなふうに思っていた50セントだったが、
その日以来、夢でみた三人の黒人の言葉が、
頭から離れることはなかった。

働いているときも、食事をしているときも、
シャワーを浴びるときも、ベッドで眠りにつこうとするときも、傷ついたレコードが同じ箇所で何度も何度も繰り返し続けるように、夢の中で聞いた声がいつも頭の中でループしていた。

そしてついに、
手付かずだった母親の貯金をおろし、
ヒップホップを始めるための機材一式を買い揃えたのだった。

教則本を読みながら、トラックを作った。
サンプリング。コラージュ。打ち込み。
よせ集めの音でひとつのトラックを作り上げる。
まるで、何枚ものコインで揃えた50セントのように。

もともとリリックを書くための素養はあった。
幼少の頃から詩に親しんだおかげで、
韻の踏み方を心得ていたし、
そこに隠喩と象徴をこめることだって、
苦もやってのけることができた。
そうして、できあがったリリックを読み返したとき、
50セントは思うのだった。
たしかに、僕には才能がある。類まれなる才能が。
どこにもない。誰にもない。そんな才能を僕は持っている。
それはまるで、いまだみたことのない50セントコインのように。

こんなふうにして、
50セントは50セントになったのだった。

つづく

投稿者 hospital : 2006年10月14日 15:37

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