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2006年10月14日

50セントの残酷な午後8

チャイナタウンで偽造IDを手に入れた後、
授業があると学校に向かった兎と別れ、
自宅に戻った50セントはリビングのカウチに寝転んでいた。
朝からの騒動で心身ともに疲れきっているせいで、
着替えをする気力がなく、ジャケットすら脱いでいない。

顔の上に掲げた両の手のそれぞれに、
もとより持っていたIDとジョージ・カワカミと名の入った偽造IDを持ち、
それらに印刷されたふたつの顔写真を交互に眺める。

全然違う顔だ。
まるで…マイケルジャクソンみたい。

ふいにマイケルのあのカン高い声が頭に響いた気がした。

そういえば、声はどうだろう。まさか声までは変わってないだろうな。

ごほんっ。あーあー。
あめんぼあかいなあいうえおー。

自分の声を確認する。
顔や肌の色は変わったが、
声は以前と同じである。

なんだ、一緒か。

壁にかかった時計をみる。
あと1時間ほどすれば、
授業を終えた兎から電話があるはずだ。
それから家を出て、
近所のスターバックスで待ち合わせをして、
兎の働く場所へ行くことになっている。
そこは50セントが今夜から働くことになる場所でもある。

新しい仕事につくことに、
50セントは少し不安でもあった。
長い間、ラップを稼業に生きてきた。
まともな労働などずいぶんしていない。

ちゃんと働けるだろうか。
長く続けられるだろうか。

50セントは頭をふる。

だめだ。弱気になってちゃだめだ。
僕はもうラッパー・50セントではないんだ。
日系アメリカ人・ジョージ・カワカミとして暮らすために、
新しい仕事につかなければいけない。

新しい仕事。
それは同時に、ヒップホップラッパーとしての暮らしに、
ホントウの終止符を打つことでもある。

不安を払いきった50セントの胸に、
今度は一抹の寂しさが去来する。

もうステージに立ってマイクを持つことはないんだな…。
ラップスターを夢見て練習に明け暮れたあの日々も、
もう無駄になってしまうんだな…。

ヒップホップを始めたとき、
50セントは大きな音量でトラックを流せ、
近所迷惑にならずラップの練習が出来る場所を求めて、
クイーンズのとある建物の地下室に引っ越した。
仕事を止め、最低限の食料だけを買い込み、
テレビやラジオを持たず、
携帯電話の電波すら入らないその地下室で、
ひたすらヒップホップに打ち込んだ。

そこは、夜の静けさがずっと続く神聖な場所であり、
ベッドに潜り込んだ後で眠りに着く前の、
あの混沌とした思考が絶えず訪れる深淵な場所だった。

優れた文学作品は夜のうちに生まれる、と誰かが言った。
昼の明かり下では哲学は生まれない、とも誰かが言った。

音楽だってそうだ。
と、50セントは思う。

これまでのロックの歴史の中で、
新人バンドによる初期衝動が
今まで多くの金字塔を打ち立ててきた。

セックスピストルズ。
クラッシュ。
ラモーンズ。
ジョイ・ディヴィジョン。
ザ・ジャム。
ストーンローゼス。
マイブラッディヴァレンタイン。
ソニックユース。
ライド。
ニルヴァーナ。
オアシス。
レディオヘッド。
スマッシングパンプキンズ。
etc...

彼らはまるで、夜のうちの思いついたアイデアを、
夜のうちに実行するように、初期衝動を貫いた。
朝、目が覚めたときにはすっかり忘れ去られる感情のように
その初期衝動が失われぬよう、
大切に大切に抱き続け、慎重に慎重に具現化し続けた。

そして、明けない夜はないように、
いつしか彼らは夜明けを迎える。
それはロックの歴史を変える素晴らしき夜明けであり、
彼らの人生を変える幸福な夜明けだった。

カウチの隅に転がったリモコンを拾い上げ、
ステレオの電源をオンにする。
CDチェンジャーを適当に動かし、プレイボタンを押す。
LCD Soundsystemの「Daft Punk is Playing at My House」
が流れ始める。
ソリッドな打ち込みとダブベースの太いうねりが生み出す
いびつなファンクビートの中で、
LCD Soundsystemのボーカルであり、
NYの最重要プロデューサーチーム・DFAの片割れでもある
ジェームス・マーフィーが叫ぶように歌い始める。

ディスコ・パンク。
ニューヨークで生まれた最新の音楽ジャンルだ。

ここニューヨークから最先端の音楽が生まれ続けている。
目まぐるしく変化し続けるテクノロジーとカルチャーとともに、
音楽は進化し続けている。
そんな音楽シーンの一部であるヒップホップに、
かつて一石を投じたのは、誰だったか。
それは、あの地下室をいくつかの自作曲とともに這い出し、
華々しくメディアに登場した50セント自身ではなかったか。

そうとも。
50セントにもかつて幸福な夜明けがあった。
あの地下室を出たときから、
ラッパー・50セントは文字通り、
日の当たる場所を歩み出していたのだ。

僕にはもう関係ないよ。
もうヒップホップのことなんてどうでもいい。
僕はこれからヒップホップとは縁のない
新しい人生を始めるんだ。

50セントはそうつぶやき、
思考をやめ、目を閉じて音楽に耳を澄ます。
そしていつしか、うたた寝を始め、、
心地よいまどろみの中に沈んだ50セントは、
再びあの三人の黒人の夢をみていた。

つづく

投稿者 hospital : 2006年10月14日 15:54

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