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2006年10月14日

50セントの残酷な午後9

真っ暗な部屋。
たったひとつのランプの明かりが
三人の黒人たちの顔をぼんやり浮かび上がらせる。

三人の黒人たちは50セントをみている。
ひどく悲しそうな顔をして。

ひとりが言う。
「ヒップホップを救えるのは君しかない」
もうひとりが言う。
「ヒップホップを救えるのは君しかいない」
最後のひとりが言う。
「ヒップホップを救えるのは君しかない」
三人が声をあわせて言う。
「ヒップホップを救えるのは君しかない」

そして50セントは目を覚ます。
タートルネックに包まれた首のまわりが、
ぐっしょりと汗で濡れている。

時計をみる。
もうすぐ兎からの電話があるはずだ。

なんだっていうんだ。
どうしろっていうんだ。
いったいぜんたい、なんなんだ。

かつて夢の中でみた彼らのお告げどおり、
50セントはヒップホップを始めた。
類まれなる才能があるといわれたとおり、
肉体労働者にすぎなかった50セントが
ヒップホップスターとして成り上がることができた。
それでも、ヒップホップを救えというその言葉には、
50セントはいつだって釈然としない思いでいた。
CDは売れた。莫大な売上金をあげた。
ランキングチャートにはいつだってその名があった。
これ以上に何をすればいいのだろうか。
そんな疑問を抱きながら、50セントはラップを続けてきた。
そして、そもそも、夢でみたあの三人の黒人たちは、
ヴァン・ヒープハープ邸の地下室でヒップホップを始めたあの黒人たちなのだろうか。
それとも、レム睡眠時の大脳新皮質がみせた無秩序な夢の欠片にすぎないのだろうか。
二度目の彼らの夢をみた今、50セントは一層わからなくなっていた。

姉さん、あの話は本当だったの?
あの三人はヒープハープ邸の奴隷たちなの?
そして彼らは、僕に何を期待しているの?

姉から聞いたヒップホップ植民地時代起源説。
あるわけないと思いながらも、否定し切れないでいた。
くだらないと思いながらも、忘れられずにいた。
姉が他に語ったいくつもの作り話と同じように、
それは滑稽で、現実性を欠き、いくつかの矛盾を孕んでいたが、それでもどこか否定し切れない類の話に思えた。

つまりは、50セントは信じていたのだ。
ヒープハープの聖なる地下室を。
地下室が生んだ三人のヒップホップ聖人を。

クイーンズの地下室に篭ったときだって、
その頭にあったのは、決して防音や家賃の節約のことだけではなかった。
本当は、三人のヒップホップ聖人たちにならってのことでもあったのを、50セントは自覚していた。
キリスト生誕における馬小屋のように、
ヒップホップ生誕の地としての地下という場所が、
神秘性を持って50セントを魅了したのだった。

「ヒップホップを救え」
初めての夢の中で、最後のひとりが放った言葉。
そして、いまみたばかりの夢では、三人全員が放った言葉。

ヒップホップを救えだって。
いったい今のヒップホップの何が気に食わないんだ。
勘弁してくれよ。僕には何も出来ないよ。
それに、もうあんたたちの時代とは違うんだよ。

時代は変わり続ける。
そして音楽もまた変わり続ける。

LCD Soundsystemのアルバム一枚分の曲たちはとうに終わり、
ステレオのスピーカーからは、
ベルリン発の三人組多国籍ガールズテクノパンクユニット、
Chicks on Speedの「We don't play guitars」が流れている。

We don't play guitars♪
We don't play guitars♪

もはや楽器が弾けなくても音楽を始められるこの時代に、雨後の竹の子のように新しいバンドやユニットが生まれていくそんな時代に、定義不能の新しい音楽が、説明不要の素晴らしい才能が続々生まれている。
そして、その一方では、過去の産物を真似するだけの、怠慢と惰性で出来た取るに足りない音楽もまた続々生まれている。

今のヒップホップはその最たる典型ではないだろうか。
と、50セントは思う。

お手軽ヒップホップが世にのさばっている。
MTVのお宅訪問番組で豪邸や車を自慢するためだけのヒップホップが。
お粗末な知識とありきたりの政治批判で偉ぶるだけのヒップホップが。

一昨年前の大統領選挙でのキャンペーンを思い出す。
「Vote or Die! 」と書かれたTシャツを着せられて、
パフ・ダディやネリーと一緒にMTVやBETのCMに登場したマヌケな自分の姿を思い出す。

Vote or Die? ふざけるな。
そんな使い古された表現で何かが変わるものか。
無教養な政治音痴を投票場へ連れ出すことに、意味なんてあるものか。
メディアに踊らされて、思慮もなく投じられた票なんて、ないほうがましだろ。

変えるべくは意識だ。
考えるべくは未来だ。
大切なのは前へ進むことなんだ。

そして、ミュージシャンなら、
音楽にそれを託すべきだ。

常に革新的であり続けるバンドがある。

ニューオーダー。
プライマルスクリーム。
フレーミングリップス。
ソニックユース。

誰よりも初々しいベテランミュージシャンたちがそこにいる。
未来を見据えた音楽がそこにある。

ひとつのバンドが、
ひとりのミュージシャンが、
いくつもの音楽史を塗り替える。
アルバムとアルバムの長く閉ざされた沈黙の間に、
華麗なる進化を遂げている。

ビートルズだってそうだった。
ビーチボーイズだって
ローリングストーンズだって。
そして、マイケルジャクソンだって。

そのとき、50セントは、はたと思いつく。
いつか薬の効果が切れ、
元の黒人の顔に戻るのではないだろうか。
いつだったか崩れ落ちた、
マイケルのプラスチックとシリコンいりの鼻のように。

カウチから飛び起き、ごみ箱を漁る。
そこに捨てられたチカコビューティー社製、
「ファニーフェイスになる薬」のパッケージを拾い上げる。
チカコビューティー社の電話番号が書いてあるのを確認し、
その部分を引き破る。
コードレス電話の受話器に手をかけたままの姿で、
それから少し考え込む。

えっと、日本の国番号は何番だろ。
それにいま、日本は何時かな。

そのとき、50セントの携帯電話が鳴る。
それが兎からであることを確認して、
50セントは受信ボタンを押す。

「やあ、ラビット」

「やあ、ジョージ。いまクラスが終わって、スターバックスに向かってるよ」

「わかった。じゃあ僕もそろそろ家を出てスターバックスに行くよ」

「うん。まだ仕事までに時間があるからそこでのんびりコーヒーでも飲もう」

「うん、そうしよう。えっと、それで、その後はどこへ行くの?」

「えっと、近くのチャイニーズフードの店に行く」

「え?そこで食事するの?」

「いや、違うんだ」

「もしかして、仕事ってチャイニーズフードのデリバリーのこと?」

「いや、そうじゃない。そこからまた別の場所に行くんだ」

「どうゆうこと?」

「入り口があるんだ、そこに」

「入り口って?どこへの入り口?」

「地下さ。そこから地下へ行くんだ」

つづく

投稿者 hospital : 2006年10月14日 16:05

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